とある日。
最近毎日雨のワルシャワです。
この日はギリ降らないんじゃないかと朝は青空が見えた日。
散歩好きな主人が「行ってみようよ」ということで新しいところへ行ったので
日記がてら残しておこうと思います。
その場所は、
Pałac Radziejowice
パワツ ラジェヨヴィツェ と読みます。
パワツが宮殿という意味でラジェヨヴィツェ宮殿です。
昔の貴族の家ということで、ポーランドではそこらじゅうにあります。
昔のポーランドはそれはそれは栄えていたのです☺️
ここも解放されていて、散歩ができるようなので
中はお休みの日でしたが「中はまぁ(入れなくても)いっか☺️」
ということで車で約40分🚗行ってきました。
書くにあたって、公式HPからこの場所の歴史を読んでみたら、
聞きなれた単語がいろいろ出てきたのできっと読んでくれた人の中にも
「あぁあの場所!」とわかると思いますので
写真と一緒にこの場所についても書いていこうと思います☺️
入り口入って早速見えた白くて大きな建物。
ラジェヨヴィツェはマゾヴィア地方の南西部に位置する小さな町。
15世紀にはラジェヨフスキ家の代表的な居城が築かれ、
後の数世紀には国の政治的、芸術的、知的エリートを魅了した。
この邸宅の激動の歴史は、まるでレンズのように、ポーランドの複雑な歴史を映し出している。
土地が道を挟んで2箇所に分かれていて、こちらは白い建物の方を見てから回りました。
ラジェヨヴィツェの最初の所有者として知られるアンジェイは、ラジェヨフスキ家の祖先であり、当時国王に従属しなかったマゾヴィアン公爵の臣下であった。
彼の息子は、マゾヴィアの土地を王権に組み入れるというアイデアの偉大な提唱者として、
国王から惜しみない恩恵を受けた。
彼の生涯の終わりには、周囲を要塞で囲まれた木造の荘園の隣に、レンガ造りの住居塔を建てた。
特徴的な角が丸まっている四角い建物
一族の中で最も有名だったのは、元老院議員で国王の管財人であったスタニスワフ・ラジェヨフスキである。
(検索すると同姓同名の画家がいますが、その方ではない方のスタニスワフです。)
彼は広大な領地を持っており、Radziejowiceの他に、Kampinos、Bolimów、Wilkowo、Mszczonówを所有していた。
(※離れたところも含め周辺の土地名です)
最初の妻はヨハネ3世ソビエスキと密接な関係があり、2度目の結婚で彼はリトアニアとロシアの大物の仲間入りをした。
所有者の重要性が増すにつれ、ラジェヨヴィツェも発展した。
スタニスワフは塔を増築し、現在のものよりはるかに大きな宮殿を建てた。
見えにくいですが、カラスのような鳥と、紋章の中にも鳥と馬の蹄のマークがありました。
日本で言う家紋のような、人によって違うオリジナルな紋章が好きです。馬がいたのかな。
ラジェヨヴィツェについては、1,000人以上の客を収容できると書かれていた。
スタニスワフはこれを利用しようと躍起になり、ジグムント3世ヴァーサなどが出席する豪華な祝宴をしばしば催した。
また、ヨハネ3世ソビエスキ、当時のローマ教皇マリオ・フィロナルディ、フランス大使のゲブリアン元帥もラジェヨヴィツェに滞在した。
領地の拡大に貢献したラジェヨフスキ家のもう一人のメンバーは、ミハウ・ラジェヨフスキ侯爵であった。
現在の宮殿の形は彼のおかげである。
彼は、ワルシャワのプリマソフスキ宮殿(今はHotelBELLOTTOになっている旧市街近くにあるあそこ)や、
現在のクラコフ郊外通りにあるチャプスキ宮殿(サーモンピンクのアート学校になっているあそこ)も拡張した。
多分ここは入ってはいけないんだろうけども、誘われているような、中が少し見えた素敵な入り口。
ミハウ・ラジェホフスキの死後、領地は彼の甥であるベリーナ紋章のプラジェモフスキ家に相続され、18世紀半ばに売却された。
買い手はおそらくフランスのルヴェンデル元帥で、その娘はアレクサンドル・オッソリンスキと結婚した。
娘の一人アンナは持参金としてラジエヨヴィツェを受け取った。
彼女の夫はシュレポウロン紋章のカジミエシュ・クラシンスキ(!)であった。
その後130年間、この領地はクラシンスキ家の所有となり、クラシンスキ家は領地の美化に努めた。
<お散歩動画①>
お散歩スタートです。
最初は動画を撮ったので鳥の鳴き声を聞きながら見て見てください☺️
埋め込みができなかったので
↑画像をクリックすると、Youtube shorts で再生されます😃
散歩開始。ここだけもぐら塚がたくさん!ポコポコかわいい
スタニスワフ・アウグストの建築家(王様の!)であるヤクブ・クビツキは、宮殿を古典主義的な外観にするために雇われた。
彼の設計により、中世の建物はネオ・ゴシック様式の城に建て替えられた。
クビツキが与えたフォルムは、今日でも内部で見分けることができ、宮殿のファサードは19世紀のものとほぼ同じである。
小さいプーさんが住んでいそうな、いいドアになっていそうな木の根元の入り口
1928年、「パン・タデウシュ」の最初の映画化がラジェヨヴィツェの屋敷で撮影された。
第二次世界大戦中、宮殿にはドイツ兵のための病院があった。
小雨が降っていますが関係なく敷地内を散歩。
散歩っていつもこんな感じです。
1945年、ラジェヨヴィツェはコミューン国民評議会に引き渡され、その後文化省に引き継がれた。
水が少し凍っています。それくらい寒い中のお散歩。
春だったらここに座ってのんびりするのも気持ちがいいんだろうな
1965年以降、ラジエヨヴィツェ宮殿は創作活動の家として機能している。
30年間、Jerzy Waldorff(イェジ・ヴァルドルフ)はここに定住していた。
※ポーランドのメディア パーソナリティ、公的な知識人、社交家、音楽評論家、音楽愛好家。
彼は主にクラシック音楽と社会をテーマにした 20 冊以上の本を書きました。
彼は「ポーランド人民共和国最後の男爵」として知られています。
現在、この宮殿ではポーランド最大のヨゼフ・チェフモンスキーの作品展や、
毎年開催されるイェジ・ヴァルドルフ・サマー・フェスティバルをはじめ、
数多くの劇場公演、ワークショップ、野外イベント、コンサートもここで開催されている。
ということで、この場所のお話は終わりです。
ジグムント3世ヴァーサや当時のローマ法王が訪れている時点でもうすごい場所だったのが分かります。
また、ホテルべロットのあの宮殿だったり、チャプスキ宮殿拡張していたり、
この辺の土地をもっていたり、こんな何百年も違う一般市民(しかも外人)の私にも
「あぁあの!」とわかるくらいの昔からのすごい貴族だったんだなと分かりました。
聞いたことがない苗字でしたが、「ラジェヨフスキ」覚えておこうと思います。
ラジェヨヴィツェは地名です。
ここは宿泊施設にもなっているようで、この日は何故か中国人が子供から大人まで
たくさんいて中と外を出たり入ったりしていたのですが、
ピアノのコンサートや特別レッスンなどにも使うことがあるそうです。
訪れたことがある日本の方もいるのではないでしょうか☺️
では散歩に戻りましょう。
歩いているとちょこちょこある齧られている木。
ポーランドはビーバーがたくさんいます☺️
これもビーバーの仕業です😁
守られている木もありますが、こうして折れてしまっているのが
いくつもありました。これはこれでいいのかな?
ここも何かが住んでいそうな木の穴①
すぐ隣にあった穴②
ハリネズミとかここにいるのかな?今は冬眠中zzz
ずっと池の周りを歩いているのですが、大きな池です。
真っ赤な幹の植物が映えます。
ペイントしたかのように真っ赤なんですけどこれ何の植物なんだろう?
写真だとちょっと暗く写ってしまっているのが残念😫
大きな木の丸太をそのまま使ったベンチ。
ここも気持ちよさそうだ〜寒くなかったらのんびりしたいところでしたが
風が冷たかったので動きは止められませんでした。
また暖かくなったらね!😊
池の向こう側から。
ここからの景色もいい雰囲気です。
右側にお二人が佇んでいる場所、あそこは小さなダムのようになっていて
池の水が落ちています。
(↑画像をクリックすると、Youtube shorts で再生されます。)
水の音ってずっと聞いていられますね☺️
ぐるっと1周して戻ってきました。
銅像がいくつかあって、知っている人をピックアップ。
アダムミツキェヴィチ。
もうこのポーランド、リトアニア、西ウクライナあたりだったら
有名も有名な詩人です。どこに行っても銅像があります。
(ワルシャワの旧市街近くにも広場になってあるし、
クラクフ旧市街のど真ん中にもあるあの人です)
このアダム…若い👀‼️
イグナツィヤンパデレフスキ。
あのパデレフスキ版のパデレフスキ。
主人も知っているくらいなのでポーランドでは本当に有名な人。
これは顔ですぐに分かりました。
ショパンはいないのかなー?と見て回ったら、
いました。
フリデリクショパン。
…これはショパンですか?😆
ショパンの新しい顔を見つけました😆
次は反対側の土地を散歩しにいきます。
車降りてから気になってたこの木の建物がある方です。
長くなってしまったので分けます。
動画もあるのでそれもまた一緒に載せます♪
冬のポーランド田舎散歩を少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです。
ではまたー☺️