<夏の景色>ウォヴィチ近くのアルカディア公園とラジヴィウ宮殿への続きです。
公園の次は宮殿へ向かいます。
距離は5kmほど離れているので車で移動。
相変わらずの景色で町と町の間は畑が広がっています。
公園と違って駐車スペースがずらっと車でいっぱい。
少し離れたところまで行って車を停めました。
普通の家なのかなにかの施設なのかわかりませんがかわいいレンガの建物がありました。
庭先に木陰のできる大きな木があって、玄関まで背の高いひまわりがあって🌻
木のドアも家ごとに違うのが面白いところですね😄
ここはウォヴィチというポーランドといえばの花柄の切り絵が有名な地域なのですが
車のウォヴィチナンバー(ELC)のなかでフレームもウォヴィチの車がありました😄
可愛いですね♪このフレームは車を管理してくれているところのだったり、こうして好きなのを
つけたり、色々あります。
ポーランドのカーナンバーは大抵最初の二文字または三文字で地域が分かります。
Eが日本で言う地方で、その次が都市名のようなものです。
Eはウッチ県(県と言うけども日本の県の括りより遥かに大きいので地域とします)、
ŁOWICZなのでそこからŁCです。(でもŁはないのでL。)
ワルシャワはもっと細かく分かれているのでアルファベットが適当に割り振ってあることもありますが
車のナンバー見て「〇〇から来たんだ〜!」とその地域を思い浮かべるのが好きです。
旅先で当たり前にある車のナンバーが変わるので、旅行に来た感✨が増しますよね😄
日本でそれを味わうのが好きだったのですが、ポーランドでもわかりやすくWから始まる
マゾヴィエツキ県(ワルシャワのある地方)から例えばクラクフのあるKから始まる
車ばかりのところへ行くと、関東から関西へ来たような、そんな気分になります😄
さて、炎天下のエントランスから宮殿に向かいます。
帽子持ってきてよかった〜!
さすが宮殿、玄関までが遠い😂
途中右側に大きな別の建物がありました。
帰り際に寄りましたが、この地方のかこの家専用なのかわかりませんが
陶器を作っていた方々の家だったようです。絵付けの様子といろんな陶器コレクションが
展示されていました。タイルとかツボとか大皿とか。
大きな家のエントランスには大抵あるこの車をつけるようの広いぐるっと
回る場所。
ここの場所をポーランド語でdwór(ドヴル)というのですが、
ワルシャワあたりの方言だと外に出るときの外を「Na dwór」といいます😄
直訳だとこの広場へ出るという、玄関出たらここなので外へ=この場所に出るのは
それはそうなんだと思いますがそういう言い方をします。
しかしマウォポルスキ県(クラクフのあたり)の方言だと、この「Na dwór」
外へ出るというときに「Na pole」ナポレと言うそうです。
poleは畑という意味です。
私は聞いたことがないので、どれくらいの方言なのかわからないのですが
この言葉で「ポーランドにも方言があるんだ!」ということを知って、
それ以来宮殿など行ったときにこの「Dwór」を見ると
「そうそうこれが外へ出るのNa dwórね!」と毎回思い出してしまいます😄
(もしかしたらこの話もすでに何度も書いているかもしれませんね😆)
ということでDwórドヴルから学ぶポーランド語「外へ」でした😄
入口にあった家紋?これはどういう意味なんだろう?
乗馬と左のは…🤔?
まずは敷地の探索。
大きな四角い建物。
宮殿と聞くとお城っぽかったり、フランス系の外もデコレーションが細かい建物を想像してしまいますが
ポーランドだと宮殿はこの形がよくある気がします。
目の前に広がる鮮やかな花壇。
不思議の国のアリスのような、迷ってしまいそうになる背の高い植木で作られた
細い道。これが本当に迷路のように道がたくさんあって、ただの道ではありますが
この囲まれた雰囲気というのはワクワクしてしまいます🤩
ただ日向の炎天下は日射しが強すぎて暑さと日焼けととんでもないことになりそうなので
向こうまで行くのはやめました😫
別の道を歩いていると白い小さな家がありました👀
おや?これはどこかで見たことがあるような👀
ジェラゾヴァ・ヴォラにあるショパンの生家だ!
実際位置的にもジェラゾヴァ・ヴォラからもう少し先へ行ったところで近いので
この辺の村の建物なのでしょうか😄
紫陽花が植えられていたり、白い壁に平屋で、ほんとうにそっくりです😊
しばらく行っていませんが、今でも日曜日のショパンコンサートはやっています。
オンラインでもライブをしているので是非ショパン協会のYoutubeも
見てみてくださいね😊
リンクしています。こちらからどうぞ😊↓
(登録者数は2022年8月4日現在のものです)
気持ちのいい木陰を少し散歩。
この時点ですでに8,000歩ほど歩いていた私は少し疲れてしまったので
室内へ向かうべく、宮殿へ向かうことにしました。
背の高い大きなユリがまたいい香り。
さて、入口は…?
とここでいいのかなというところでためらっていると、前に座っていたおばちゃん3人組が
「そこであっているわよ、入れるわよ」と教えてくれました。
入ってすぐカウンターがあり、お土産というお土産ではなかったけども
本やお皿が並ぶ場所を過ぎてすぐのところでまずあったのが青い廊下。
アーチ状がまたいい✨
館内は写真OKなのか確認をして、「もちろんOKだよ」と😊
※ただしフラッシュは駄目だよ
ここで、まずラジヴィウ一家とこの宮殿はどういうあれなのかと
調べてみました。
ニエボルフとアルカディアの博物館は、1945年に設立された。
ニエボルフのラジヴィル宮殿と庭園(ここ)、アルカディアの
ヘレナ・ラジヴィウのロマンティック・ガーデン(一つ前の投稿した公園)である。
ラジヴィウ一家は1945年2月、NKVD(ソ連のスターリン政権下で刑事警察、秘密警察、国境警察、諜報機関を統括していた人民委員部)に
よってソ連に強制送還され、クラスノゴルスク収容所に収監された。
当時のワルシャワ国立博物館館長スタニスワフ・ロレンツは、ラジヴィウとの合意により、ニエボルフ宮殿とそのコレクション、アルカディアの歴史的庭園を預かり、直ちにワルシャワ国立博物館の分館として組み込んだ。
これにより、正統派スターリン主義の最悪の時期に、宮殿とそのコレクションは荒廃と散逸から救われた。
現在、この宮殿には、17世紀から19世紀にかけての宮殿住居の内装に関する博物館があり、
1987年、ニエボルフとアルカディアの宮殿・庭園群の保存と管理に対して文化芸術大臣から金賞、1994年6月にはハンブルグのFVS財団からヨーロッパ記念物保護賞(Europa-Preis für Denkmalphlege)を授与されている。
国立博物館のHPより引用
ということで、そもそもラジヴィウ一家に関しては歴史が長すぎるので省きますが、
リトアニア、アメリカにも残っているという幅も広い貴族です。
(気になる方はちらっとでもwikiのラジヴィウ家 貼っておくので見てみて下さい😄)
ポーランドの3大貴族というのがあって、
★ポトツキ(Lancutワンツットの宮殿へ行ったことがあります😊)、
★チャルトリスキ
★ラジヴィウ
のこの3家です。
ラジヴィウはRadziwiłłと書くのですが「ł」が2個もつきます
貴族はたくさんいるのですが、中でもこれがどうやら御三家のよう。
今でも続く歴史ある貴族の一つの宮殿としてソ連に奪われないように国立博物館が公に分館とすることで
守られた重要な場所であることがわかりました😊
3つのホルンが書いてあるラジヴィウ家の紋章
ろうそくの火のあかりを最大限に明るく広くできる装置。
半球の内側を鏡のモザイクで埋めて、その反射でろうそくでもかなり広い範囲まで明るくなっていました。
(実物は電気のろうそくだったような気はします)
家でもポイントランプをもう少し広い範囲で明るくできないかなと透明フィルムで覆ったり
鏡も試みたことがあったのですが、こうして前に光源を置いて、鏡は真っ直ぐではなく半球で覆うという
ことを思いつかなかったのでなるほどなぁ〜🙂と
知恵を拝借出来てこれだけでももう満足してしまいました😆
青いタイルの壁の階段を上に上がります。
見覚えのあるスタニスワフ・アウグストの肖像。
アップで撮るのを忘れてしまいましたが、この青いタイル、なんと一枚一枚絵が違います。
畑に人物が2,3人いて物語になっているような雰囲気で少しずつ色んな人が出てきたり
それを目で追いながら階段をのぼりました。
青がまたいい青。グレーがまざった品のある青ですね〜✨
なんとも言えない最高の空間がここに…🥰
大きな昔のタイプの地球儀、それも隣は天球儀✨
素敵な木の古い本棚には、これまたかっこいい背表紙が並ぶ本がぎっしり。
本を全く読めない私には、本棚というものをもつだけでも憧れなのですが
こんな部屋が憧れです🥰
そして一角にはアンティークのシーリングが展示されていました🥰
これは悪魔?死神?そんな不吉なものではないかもしれませんが、
ローブをかぶった彫刻のシーリングスタンプ。下が鏡になっていて裏側がこのまま見える展示が
素晴らしい。
騎士のシーリングスタンプ。これもかっこいい🥰
実際はこれくらい暗いので雰囲気があって最高の時間でした🥰♡
指輪型のシーリングスタンプかっこいい。
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