ショパンの『前奏曲集』から第4番 ホ短調と第6番 ロ短調が演奏された。
葬儀には3,000人近くが参列したが、その中にジョルジュ・サンドの姿はなかった。
「なるほど…これを演奏すればお葬式の雰囲気が…ってジョルジュサンド来てないの!?😳」
とびっくりしました。しかし、ショパンにとっては良くも悪くも彼を作る大きな
9年を一緒に過ごした大事な思い出の一つの人。
自分の人生でも「あの人はなんだったんだ…」と思う人はいますが、
当時は幸せな時間もあって、自分が成長したこともきっとあったんですよね。
・・・がしかし知れば知るほどジョルジュサンドがちょっと憎くなってきます😶
別れた後ショパンは鬱になっていたとも言うし、よっぽどの別れだったのでしょうね……
葬送の行進は町の中央のオペラ座の隣にある教会から始まり、ショパンが埋葬を希望していた街の東の端のペール・ラシェーズ墓地までの非常に長い距離にわたった。葬列を先導したのはポーランドの大移民の長だった年老いたチャルトリスキ公であり、芸術家たち(ウジェーヌ・ドラクロワやチェリストのオーギュスト・フランショーム、ピアニストのカミーユ・プレイエル(Camille Pleyel)など)が交代で担いだ棺のすぐ後ろには、姉のルドヴィカがいた。
埋葬の際には、その横でナポレオン・アンリ・ルベールの管弦楽編曲によるショパンの『葬送行進曲』が演奏された
葬送行進曲がショパン自身の時にも演奏されたなんて。
小さい頃、この曲が誰の曲かも知らずに、この曲が好きで良く弾いていたのですが
おばあちゃんに「悲しいから弾かないで!笑」と冗談で止められていたのを思い出しました。
凄く重く、しかし音がとても綺麗で好きな音で、悲しみがとても伝わって来て重くのしかかってくるのだけども、
でもいい曲!もっと聞いていたい!弾きたい!と、気持ちが二転三転してしまうのですが好きな曲です。
教会でのお葬式ミサ、その後墓地へ移動して、棺桶を埋める前にその場でも神父さんが小さなミサみたいなことを
するのですが、そこでこれを流されたら本当に永遠のお別れ。もう立っていられないかもしれませんね。
時代も違うし、国も違うので方法は違うかもしれませんが
最後埋める時に一人ずつその砂(土)を少しずつ棺へかけて埋めていくのですが、
これがとても悲しく辛いです。
私はピアノは習っていましたが、ショパンをちゃんと弾いたことはなく、
特別なファンという訳でもありませんが
ワルシャワに来てから多くのショパンファンの方に出会い、お話を聞き、
観光ではなくショパンコンクールの為に来たピアノの先生方や教え子さん達などに
お会いしてから関心を持つようになりました。
勿論全くの無知に近い状態ですが、それでもリストが言った「ショパンのプレイエルの音はクリスタルと水の結婚のようだ」
という表現は、プレイエルでの音は分かりませんが、現代のグランドピアノで奏でられるショパンの曲でも
表すのにまさにぴったりな表現!と共感しました。
しかしシューマンの残した「美しい花畑の中に大砲が隠されている音楽」という表現は
ショパンを心から愛し、ご自身で弾かれる方が理解できる表現なのだと思います。
きっとそんな力強さが繊細なメロディーに含まれている、それがこうして百年以上愛されるショパンなのですね。
そして今後100年も同様に愛されていくのでしょう。
wikipediaはあまりそのまま信じてはいけないものではあるのですが、
初めて知るにはとても簡潔かつ分かりやすくまとまっているので
読んだことがない方は
是非一度ショパンのページを読んでみてください😊