今日はベウジェツ強制収容所について調べてみようと思います。
ベウジェツはBełżecと書きます。(ポーランド語のzにはżźzと3種類ありますがここはż)
ベウジェツにある強制収容所になのでベウジェツ強制収容所という名前です。
先に情報ですが残念ながら現在コロナの影響でマイダネク強制収容所、ヘウムノ強制収容所
とあわせこちらのベウジェツ強制収容所も2020/3/12から閉鎖となっています。
このページをコロナが終息したあとにご覧になっていたら公式HPにてご確認ください
まず場所はどこにあるのか見てみます。
これまた東の国境の方ですね~。
先日ソビボル強制収容所(正しくはソビブル強制収容所)を調べましたが、
近そうな雰囲気。
どれ位の近さか見てみましょう。
150㎞…2時間かかるとなると近くはないですね
ちなみにこの2収容所間、写真上の青い線に近い形でザモシチまでは線路もあります。
ザモシチからベウジェツまで線路はあるのですが青い線のようではなく左にぐるっと半円を描く
形であるのでちょっと遠回り。果たして電車で行く事が得策かどうか…
しかしとりあえずこのベウジェツ強制収容所もベウジェツという電車の駅の近くなので
電車で行ければ分かりやすそうです。
良かった!
その前にベウジェツ強制収容所について知らなくては。
地図上で見つけると画像もすぐ出て来ますが、とても綺麗で大きな博物館があるようです。
ベウジェツ強制収容所というと大抵この瓦礫の道の画像が出て来ます。
何かのシンボルなんでしょう、こちらも調べながら見て行きたいと思います。
ベウジェツ強制収容所の概要内容は公式HPより意訳して載せています。
英語が分かる方は公式HPのCamp Historyよりご覧ください。
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<ベウジェツ絶滅収容所収容所の歴史>
公式HPより
ベウジェツにあるナチスの絶滅収容所は、まさにユダヤ人絶滅施設の中心地でした。
1942年3月から12月にかけて約45万人がここで殺害されました。
その多くはポーランドのユダヤ人でしたが、ドイツ、オーストリア、チェコ、スロバキアのユダヤ人市民も多くいました。
1942年3月17日
ベウジェツへの最初の強制送還がラインハルト作戦の始まりでした。
目的は、ユダヤ人の絶滅と財産の略奪です。ベウジェツの収容所は、他の収容所3つのうち最初のものであり(他ソビブル強制収容所・マイダネク強制収容所)
ナチスが数千人のユダヤ人を殺害する目的でさまざまな実験を行った場所でもありました。
ラインハルト作戦を開始し同時に収容所を建設するという決定は、1941年10月13日東プロイセンのラステンブルク(現在はポーランドのKętrzynケントジン)近くのヴォルフスシャンツェ (Wolfsschanze=狼の砦または「狼の巣」)と呼ばれるヒトラーの本部での会議で決められたと考えられています。
<こちらからwikipediaのヴォフルスシャンツェも是非読んでみてください。こんな所も残っているのかと興味がわきました>
Heinrich Himmler(ハインリヒ・ヒムラー…SS(ナチス親衛隊)のトップ)もここに参加していました。Odilo Globocnik(オディロ・グロボクニク…親衛隊の将軍としてポーランド・ルブリン地区親衛隊及び警察指導者)がベウジェツ絶滅収容所の監督を務めていました。
ドイツ人は1941年11月1日から絶滅収容所を建設し始めました。
その場所はいくつかの要因によって決定されました。
まず、ベウジェツはルブリンとRava-Ruskaラーヴァルースカのジャンクション駅をつなぐ鉄道の隣にあり、そこでクラクフ地区とガリシア※¹を輸送することが出来るという地理的要因です。
<地名から全然位置関係が分からない(!)のでこちらも調べたものを残しておきます。>
Kai Kotzian, year of creation: 2005 (must include all), Attribution(画像リンク先)より引用し作成
※¹ガリシア・・・正式にはガリツィア領で上の地図の紫の所です。
赤丸で囲まれているRzeszówジェシュフ、Krakówクラクフなどその辺りは現在ポーランドです。
Lwówルブフ(現地語?だとリヴィウ)は現在ウクライナなので現在だと国境をまたぐ丁度このベウジェツ辺りにありました。
ちなみにジェシュフもルブフも偶然ながら旅行で行った事がありますので
どんな所か興味がある方は古い記事でお恥ずかしいですがこちらの記事からどうぞ。
クラクフのカジミエシュ地区内に「ガリシア・ユダヤ人博物館」がある事を発見しました。
カジミエシュ地区散策をした日記(こちらからどうぞ)もあるのでそれも併せてご覧ください。
クラクフに行くときにはこちらも訪れるといいですね。
→ガリシア・ユダヤ人博物館への地図のリンクです。
Rava-Ruska・・・現ウクライナのラーヴァルースカРава-Руськаという場所。
位置関係は上の地図の通り、現在のポーランドとウクライナの国境近くの町で当時はガリツィア領だった町。
ということでした。
ベウジェツはナチスが非常によく知っていた場所でした。
1940年に強制収容所のユダヤ人がそこにいたからです。
その囚人はソ連と一般政府の境界に「Ottoオットーライン」と呼ばれる対戦車用の溝を建設しました。
町には、以前の森林開発会社が所有していた鉄道用の傾斜路もありました。
ベウジェツ絶滅収容所は、ユダヤ人を殺すためにガス室が使用された最初の場所でした。
SS(ナチス親衛隊)37人以下で構成されたサポートされた指揮官によって管理されました。
キャンプにはChristian Wirthクリスティアン・ヴィルトと Gottlieb Heringゴットリープ・ヘリング2人の指揮官がいました。
監督と保護活動は、ソビエト捕虜の仕事でした。彼らのほとんどは、トラヴニキ収容所で訓練されたウクライナ人でした。時期によって変動はありましたが常時約100人がいました。
ベウジェツ強制収容所の歴史は二段階に区別することができます。
第一段階は、1942年3月17日に始まりました。
そのときルブリンとルブフ(リヴィウ)から来たユダヤ人2路線は絶滅させられました。
当時は原始的な木製のガス室があり、1942年6月までに8万人が殺害されました。
第二段階は、1942年7月にルブフ(リヴィウ)とクラクフ方面からの強制送還期間です。
その間により大きく、より効率的な、コンクリートのガス室が収容所の中央部分に建てられました。
ラインハルト作戦の数か月の間に、35~40万人がそこで殺されました。
最初の原始的な木製のガス室とその改良されたコンクリート版の両方が、浴場に似たような方法で建てられました。シャワーのようなものが天井に設置されており、ドアには入浴と吸入用であると書かれていました。遺体の埋葬と財産の仕分けに関連する作業は、約500人のユダヤ人囚人グループによって行われました。ドイツ人は時折ユダヤ人囚人を判別し、働くことが出来ないと思われた人々を撃ち、新しい労働者を次の輸送で来る人々から選んでいました。
ユダヤ人は家畜運搬トラックでベウジェツに運ばれてきました。
平均して、それぞれ約100人が乗せられていました。 過密状態の中、熱さ、水不足、食料不足などの輸送の極端な条件により、ベウジェツに向かう途中で多くの人々がトラックの中で亡くなりました。
ベウジェツ絶滅収容所は1942年12月に機能を終えました。最も可能性の高い理由としては、大量の墓の敷地不足と言われています。 死体を燃やし、収容所での行いの跡を隠すという行動は、1943年の春まで続きました。すべての建物と設備が1943年6月までに解体されました。収容所の清算に参加した最後のゾンダーコマンドのメンバーは、 ソビブル絶滅収容所で殺害されました。
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という事で、こちらがこのルブリン地方のメインというか最初の収容所だったのですね。
ガス室が最初に出来たのもここだった…。
マイダネクの方が有名なのはルブリン地方のルブリン市という真ん中にあるからなのでしょうか、
これからはマイダネクと一緒にベウジェツ・ソビブルと3つ併せて覚えておきたいですね。
このベウジェツ強制収容所の所には綺麗な博物館があるようなので行き方の前にそちらも
見ておきたいと思います。
最初にも出た瓦礫の道ですがこれは鉄道の側線(メインではない線路という意味という事からユダヤ人を運ぶための線路だと思います)があった場所だそうです。
ここはお墓に続く道でこの高さの違いは犯罪の次元の違いを表現し、またここまで移送された人々の町の名前が刻まれた道を通る事でここまでの心境をより深く実感するように出来ているのだとか。周辺の木々は悲劇的な出来事の「目撃者」として、今も生き続けていると書かれていました。
博物館内部も綺麗で見やすい展示がされていますね。
画像をクリックして是非他の写真も見てみてください。(公式HPにリンクしています。)
またVIRTUAL MUZEUMミュージアムという項目がHP上にあったので見てみた所、
思っていたものとは違うもので、中を歩けるようなバーチャルツアーではないのですが、
おそらく実際の展示物(写真を含むパネル)がpdfになっていて見られるようになっていました。
みていたら名前がでたSSの二人の画像も見つけました。
つづく↓2へ