Muzeum byłego niemieckiego Obozu Zagłady Kulmhof w Chełmnie nad Nerem
お問い合わせを頂いたので、今日はここへの行き方を考えます。
※2020/4/20現在
コロナの影響でこちらの施設は2020年3月12日より閉鎖中です。
いつオープンするかはまだ分からないので行くとなった場合には
公式HP→https://chelmno-muzeum.eu/en/(英語版)
にてあいているかどうか必ずご確認ください。
ここはヘウムノ(Chełmno)という所にある旧ドイツのクルムホフ強制収容所博物館で
1990年6月に設立されました。
クルムホフはドイツ語での呼び名で、ここに駐屯した初代隊長の名前だそうです。
ヘウムノにあるのでヘウムノ強制収容所とも呼ばれています。
ここではヘウムノ強制収容所と呼ぶことにします。
ヘウムノ強制収容所は、マイダネク強制収容所同様に遺体を遺棄するための森がありました。
4㎞ほど離れたジュホフスキの森(Las Rzuchowski)です。
Rzuの発音は非常に難しいのでジュと書いて普通にジュと読むと発音が違うのですが
他に日本語で書き方が無いのでジュホフスキとさせてください
その為ヘウムノ強制収容所に行く!となった時には博物館か森か両方行けるのか。
まずどんな所か見てみよう(調べてみよう)と思います。
ヘウムノ強制収容所について公式HPから意訳して残しておきます。
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ネル川沿いのヘウムノ(Chełmno)にあるドイツのクルムホフ強制収容所は
ヴァルテガウ※¹のユダヤ人のための最初の即時大量絶滅センターでした。
1941年12月に設立され、2つの期間にわたって運営されていました。
<最初の期間>1941/12/8(最初の輸送)~1943/04/11
ここでの殺害方法は、排気ガスを使用して、改造されたトラックである移動式ガス室で行われました。
犠牲者の遺体は、約4 km離れたジュホフスキの森(Las Rzuchowski)に連行されました。
彼らは60から230メートルの長さの墓に葬られました。
最初の犠牲者は、Kołoコウォ, Kowale Pańskieコヴァレパンスキエ, Kłodawaクウォダヴァ, Izbica Kujawskaイズビツァクヤフスカ
の地元ユダヤ人がゲットーから連れて来られました。
1942年1月、1941年の秋に設立されたウッチキャンプ(Ziegeunerlager)からロマ(ジプシー)がヘウムノに到着し始め、
1941年にウッチ(Łódź)に強制移住させられたドイツ、チェコ、オーストリアのウッチゲットーのユダヤ人が続きました。
1942年の夏、集団墓地の腐敗した遺体から伝染病の脅威があり輸送停止。
遺体は墓から発掘され、野外焼却棟で焼却されました。
1943年3月、収容所の清算が決定されました。
コマンドーは収容所を出たあと火葬場と宮殿を爆破。
※¹ヴァルテガウってなんだと調べた所、1939年から1945年までのナチス・ドイツの領域のことで
ナチスがポーランドへ侵攻をしてきて国際法に反して編入された地域をヴァルテガウと呼び、それが
ちょうどポーランドの西側この辺りだったようです。
詳しくはwikipediaにもあったのでヴァルテラント帝国大管区をご参照ください。
<第二期>1944年春夏~1945年1月18日
絶滅はジュホフスキの森で行われました。
そこにはさらなる被害者が来てもいい様に小屋が建てられていました。
1944年6月23日から7月14日の間、ユダヤ人の10人の輸送車両がウッチから到着しました。
その際、ウッチゲットーの7,196人の住民が殺害されました。
その後、駆除は中止されました。 ゾンダーコマンド※²の一部と
最後のユダヤ人捕虜グループ(おそらく47人)が村に残されました。
彼らは解体された宮殿の隣の穀倉に保管されました。
1945年1月17/18日の夜、避難中にSSは最後の処刑を行いました。
5人の囚人のグループが穀倉から連れ出され、ヘッドショットで殺されました。
絶望的な囚人は穀倉に閉じ込められ、反乱を起こして2人の部下を殺しました。
それから、ドイツ人は囚人に火をつけて建物ごと燃やしました。
戦後、ウッチの地方裁判所からWładysławBednarz裁判官が行った調査により、
殺害された者の数は35万人に達したことが判明しました。
1960年代のボンでの裁判中に、より少ない数(152,000人の犠牲者)が推定されましたが
絶滅した可能性が最も高いのは約20万人です。
※²ゾンダーコマンドSonderkommando…第二次世界大戦中にナチス・ドイツが強制収容所内の囚人によって組織した労務部隊。
主にユダヤ人で死体処理を行うことが主な仕事。その為他の人よりはましな衣食住であったが戦後まで生き残れたものは多くない。
このヘウムノ強制収容所では 展覧会の企画に加え、
博物館では、教育や学術活動も行っています。
博物館の使命は、ヴァルテガウ地域に住んでいたユダヤ人のための最初の強制収容所としての記憶を残すことです。
第二次世界大戦中のユダヤ人とロマの絶滅についての歴史教育のために活動し、
遺物を保存し、死の収容所の歴史を記録しております。
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と、このような所です。
強制収容所なので調べているだけでも辛いですが、一体いくらほどあるんだと思う程
ポーランドには沢山ありますね。
さて、ここへの行き方を考えます。
収容所のある所=広大な土地=田舎であり、強制収容所跡に華やかな施設を立てるような
国でもないので離れた所にあるのが一般的。
なのでここもそうだろうと思います。
アウシュビッツ=ビルケナウ位観光地になってしまっていれば、
あれだけ離れていても行くのは簡単ですが(それでも海外旅行初心者に個人で行くのはおすすめしませんが)
はたしてここは・・・
では見てみましょう!
まずヘウムノ強制収容所と言っても訪れるべきは博物館とジュホフスキ森の2ヶ所ではないかと考えます。
公式HPにもあった見どころっぽいこれらの写真はどれも森の写真です。
その森の場所は地図で見るとこのような位置関係です。
※これを調べた2020年4月現在コロナの影響で博物館は閉鎖中の為そう表示されています。
そしてこの森はオープンスペース。
実際の現地の様子を貼っておきます。
実際の場所はこのような所。
建物は何も残っていないようですね。
写真もピンポイントで綺麗に映っているだけで、実際はそれぞれ離れた所にあります。
天気は雨だと辛い場所ですね。行くとしたら過ごしやすく雨も少ない5~9月がいいのではと思います。
(冬はふきっ晒しで寒く、3-4月辺りは1日に天気が全部あるような変わりやすい天気が多いです)
いずれにせよ、この森へ行くには4㎞離れた博物館から徒歩…はちょっと遠いと思うので
流れタクシーがいればいいですがそれもどうか…
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