2019/09/08 日曜日
チェンストホヴァ(Częstochowa)へ行ってきました。
ずっと行きたかったチェンストホヴァ。
カタカナだとチェンストホバと書いてある事が多いですが、チェンストホバだと違和感。
ここはポーランド語の発音に則って「Ba」は「バ」、「Wa」は「ヴァ」
なのでそのように書こうと思います。
ワルシャワ(Warszawa)はポーランド語だとヴァルシャヴァです
どうして行きたかったかというと、チェンストホヴァはポーランド国内のバチカンのような
簡単に言うとポーランドのカトリック総本山ヤスナグラがあるところだからです。
そこには、黒のマリアと呼ばれるマリアの絵の本物があります。
東欧のマリアは大体が褐色の肌で、普段なんとなく思い描くマリアは白い肌だと思うのですが
東欧の場合だと褐色の事が多いです。
それらは、このチェンストホヴァ(都市名)のヤスナグラ(場所の名前)という所にある
ヤスナグラ(Jasna Góra)修道院内の黒のマリアのレプリカなのです。
「本物が見てみたい!」「総本山の雰囲気を感じてみたい!」という思いがついに
叶う日が来ました。
しかも、この日、9月8日はマリアの誕生日とされている日で全国から人が訪れる日でもあります。
実は9月5日に一時帰国から帰ってきたばかりだったのですが、LOT機内にも日本からのシスターグループが
乗っていて、きっとチェンストホヴァに行くんだろうなと思いました

ワルシャワからチェンストホヴァまでは車で行きました。
片道約3時間。
途中に広がるりんご畑。ずーっとリンゴでした




反対側はトウモロコシ畑がドーン!どこまで続くの?と思う程ポーランドの畑の規模も
物凄い広さです。
ポーランドの名前の通り、ポーラ(平地)な道をひたすら真っ直ぐ。
ワルシャワのセントラルとは対照的な建物もほぼない平原。
これがまさにポーランドです。鹿の親子をよく見かけました
まずは宿泊先のホテルへチェックイン。
ヤスナグラまで歩いていける範囲内にあったHotel ibisイビスへ。
公式HP:Hotel Ibis Czestochowa-AccorHotels

おそらく元々古いホテルをリノベートしたようで、廊下は少し時代を感じましたが
チャックインのロビーと部屋はとても綺麗でした

ベンチシートが好きなのですがこの作りは初めて見て「うちもこうしたい!」と
真似したくなった窓辺の机部分。小スペースをうまく使っているお部屋でした
<ibisホテルギャラリー↓クリックで大きくなります>
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窓辺のビジネススペース
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微炭酸の水つき
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小クローク面白いつくり
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トイレ&シャワーBOX
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アメニティは4in1
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このドライヤー久しぶり

夕方に到着して、私もまだ時差ぼけで疲れていたのでこの日はそのままホテルでのんびり。
ホテルのレストランもそんなに高くないのでここでいただきました。
秋のポーランド料理と言えばパンプキンスープ。基本的にはポーランドのパンプキンスープはスパイスが
きいています。これだけでお腹いっぱいになってしまいました
主人オーダーのお肉セット。写りが悪いですがお肉もとっても美味しかったです

朝食もとてもよかったこのイビスホテル。
ポーランドの煮凝り(チキンスープのにこごり)もあって美味しかった~
パンケーキも美味しくて、ウインナーもジューシーで美味しくて、満足でした!
朝は少し雨が降っていて、さすがにこれは傘は差さないとなーぐらいの降水量だったのですが
それでもやっぱり基本的には傘をささない人達。ヨーロッパはあまり差さないですね。
理由としては私が思うに、そもそも見た目をそんなに気にしないので多少崩れても問題なし。
かつ湿気がないので、すぐ乾く(本当に恐ろしくすぐ乾きます)からじゃないかと思います

遠くに見えてきたタワー。あそこがヤスナグラ(Jasna Góra)修道院がある所です。
ホテルから約3㎞。旧市街を通ってまっすぐなので周りを見ながら向かいます。

旧市街(Stare miastoスタレミアスト)と地図にも地名としてあるし、ここが旧市街で
あっているはずなのですが、旧市街らしさはなく・・・
ワルシャワをはじめ、クラクフ・グダンスク・ヴロツワフ・ポズナン・ザモシチ・トルンetc…
どこもカラフルで可愛い昔のポーランドの街並みを期待していたのですが無くて残念。
普通の今時のよくある街並みでした。
そして日曜日だったので軒並みお店はお休みだったので静かでした。

チェンストホヴァの市役所。(Ratusz Miejski)
このサーモンピンクにこの形、装飾は旧市街でよく見るポーランドっぽさがあります

信号待ちにて。沢山の張り紙がありましたが、これは全部御悔みで
「誰が亡くなっていつどこでお葬式があるか」が書いてある紙です。
こんなに一か所に貼ってあるのを見たのが初めてだったのですが、これも神聖なヤスナグラの近く
だからならではなのかな、と思いました。
教会は結婚式だけではなく、生まれてからの洗礼に始まり、お葬式まで全部をやるところ。
現実的な話になりますが、そもそもカトリックはお金を集めるために作られたのだとか。
経済を回す大事な場所です。
全てを教会という場所を作って、そこでやるようにすればお金が集まるじゃないか、
それをしきたりにして今でも続いているのです。
だからカトリック教会は綺麗なのですね。集めるだけではなくちゃんと使います。
それを贅沢だ、無駄だ、と嫌になって(それだけじゃないですが一つの理由として)
カトリックにプロテスト=反抗したのがプロテスタントです。
だからプロテスタント教会というのは質素できらびやかではないのです。
そしてカトリックの厳しいルールもなくなっています。
その為世界中で観光地になっている教会というのは、やっぱり人は綺麗なものは見たい。
そして人は綺麗な物が好きですよね
なので世界中の綺麗な観光地となっている教会は大抵はカトリックです。
しかしちゃんとしたカトリック教徒というのは本当に減っていますので神聖な教会、
特に一番グレードの高いバジリカ(大聖堂)がやはり装飾も一番ですので
そこがただの観光地アトラクションとなってしまっているのが少し悲しくも思います。
サグラダファミリアなんかは特にそう思いました。静かに祈りたいけども、
一応真ん中には信者用のスペースもあるけども、それどころじゃない賑やかさです
しかしこれも時代の流れなのでそれはそれで、そういうものなのでしょう。
豆知識でした

ヤスナグラへまっすぐ続くメインストリート。
ヤスナグラとはJasna Góraと書くのですが、意訳すると「よく見える山」のような意味です。
山というよりは丘の上、高台なのですがチェンストホヴァ付近は山でもなく丘でもなく、
日本語だと小山?私もよく分からないのですが古墳のような大きさの山があります。
そんな所の上にあるヤスナグラ修道院。
ヤスナグラの地名は単語がそのままで意味が分かりやすいので、
これについて主人と話していました。
私の好きな地誌です。
ポーランド語の会話で、「これ頼んでもいい?」の返事に「Jasne!ヤスネ!」という単語があります。
このJasne(活用されているのですがJasnaと同じ)が、このヤスナグラと同じヤスネで
会話上だと「いいよー!」の意味。
このヤスネの背景には「問題ないよー勿論だよー」の英語でいう「clear」の意味が入っていて、
景色がよく見える時にも「clear」を使う時がありますよね。
そのclearがこのヤスナグラのJasna。
てことは、「(ここから町が)良く見渡せる丘って意味かな?」と
話しながらヤスナグラへ向かっていたのですが
「でもこのヤスナグラは、どちらかというとよく見渡せるというよりはこの場所自体が神聖だから
この高台がclearの、この場所が後光が差しているほどの神聖さでの
クリーンのヤスナで高台だからグラなのかも?」という見解も。
なるほど、確かにそれでも意味が通る
地名って面白いですね
どうしてそう名付けられたのか考えるとその土地がより分かる気がします

途中周辺も気になったのですが、11時のミサに出るのに時間ギリギリだったため
この辺からいつも以上の早歩きでヤスナグラ修道院へ向かいます。

赤信号に救われました。
彼の2歩が私の3歩。下手したら彼の1歩は私の2歩。
足の長さの差がとんでもないのです
ミサというのは、始まりが肝心だそうで最初を聞いていないと途中から聞いても
あまり意味がない(と感じる)のだとか。それを知っていたので私も途中から走りました。
実は写真の正面に見えている物は正面から入れるものではなく、また高台にあるので
左からぐるっとまわらねばならず見た目以上にまだ距離がありました。
結果としてはギリギリ間に合って、扉の所に立ってミサに出られました。
私はミサに出るのは慣れていますが、信仰心があるわけではないので最初はしばらく教会内
綺麗だなーと見渡して、あとはただただ耐える1時間…
そして体調が悪くなり立っているのもつらかった時間…
主人からも「息できてる?大丈夫?」と聞かれて、満員電車程のぎゅうぎゅうでもないし
何を言ってるの
と思いましたが、
実際これだけの人が教会に集まると酸素が薄まってしまい、
意識が飛ぶことがあるそうです。実際主人もなったことがあって、
背の低い私を心配してくれていたのでした。
私がミサに出るたびに眠くなるのは退屈だからじゃなくて酸素不足だったのか…
この日の、この教会の、この回のミサは更に辛かったです。
何故かというと、まずミサ中というのは基本的に話を聞くのですがそれを読む人の話し方が
今まで出てきたミサの中で一番生理的に聞いていられない話し方で
どうやら読んでいたのは神父よりも位の高い司教?大司教?だったそうなのですが
特別な日だからなのか話が長い!
1時間で全部終わるはずがお話だけで1時間。流石に主人も「長いね…」と
そこからのいつものミサである応答のようなやりとりと、全員が一斉にしゃがんで片膝を立てる時間、
周りの人達と握手をする時間、お金を集める時間があってからのウエハースをもらう時間に
なったのですがとにかく凄い人でミサ中も常に人が出たり入ったりで落ち着きませんでした。
これが観光地。さっきは行ったばかりの人もすぐ出てきたり、
グループでイヤホン着けている観光グループもミサ中に出ていったり・・・
そして100人に1人くらいはミサを写真撮ったりビデオ撮っていたり
数えるくらいですが、こんな神聖な場所でこんなに分かりやすい空気の中でも、いるものです。
ちなみにこの日のこのミサではアジア人は一人も見ませんでした。
これも珍しいですね
そしてミサが終わったら中をゆっくり見たかったので(写真も撮りたかったので)
人が出ていくのを待っていたのですが・・・

ずらずらと、とてつもない人の波!
絶えず流れてきて、どれだけの人が中にいたのか!?
中は予想外に広いようです。
20分は待っていたのですが、全く状況が変わらず入る事が一向に出来ませんでした。
さすがはマリアの誕生日です。
この日のバチカンはどうだったのでしょう。

出口付近にある一部屋の中。
こちらにも黒のマリアの絵がありますがこれはレプリカ。
本当は黒のマリアのある教会でミサを受けたかったのですが、このヤスナグラ内にはいくつも
教会があって、ミサが終わってから「ここじゃない!」と気付いたのでした
遠くて前が良く見えたなかったのもありますが、黒のマリアは周りが黒くて、
自動ドアがついていて、それもずっと空いているわけではないのです。

人、人、人!
そしてもちろん皆さん背が高いので私は埋もれています
今度は次のミサなのか、農協組合のような人々の謎の団体がプレートをもって
押しかけてきていて、
それらがまた入り口で止まっているもんだから出たい人も出れずに止まる
「もう諦めよう、僕たちも出よう、気を付けて。」
そして外に出ました。そしてすぐに次のミサが始まりました。
日曜日はミサが沢山です。

やっと出られた明るい外。雨も上がっていました。
どうやら私たちのいたのはBazylika Jasnogórskaで、
訳すならば「ヤスナグラ大聖堂」
でしょうか。バジリカなのでメインはメインだったようです。

はてはて、黒のマリアはどこにあるんだろう?
↓続きます