次の場所へ向かう途中に何か発見。
近寄ってみましょう。
なんだなんだ?
片方はぱっくりあいた石の何か。
そして隣にも何かの遺跡のようなもの。
なんだろう?と考えていると流石ポーランド人、主人がすぐに教えてくれました。
「これはマガジン(倉庫)だよ。地下に食べ物とか武器とか置いておいてたんだと思うよ」
どちらも倉庫だったようです。
倉庫と言ってもやはり形が違うのですぐには思いつきませんでした。
こちらの人にとってみれば、見てすぐに「これは倉庫だ」と分かる形なのかもしれません。
これも文化の違いですね、当たり前が違うという事が最近面白いと思います。
(でもそのせいで、まず自分の答え合わせをしなければならないので話が進まないんですけどね…)
また二手に分かれました、とりあえず左から行ってみます。
(結果どちらから行っても大丈夫でした)
なにやら眺めのいいちょっとした展望台のような所に出ました。
先は谷のように低く削られています。
「広いね~!ここはなんだろうね?池だったのかな?」
zwirownia miejsce 砂利採取場
niewolniczej pracy 奴隷労働
とありました。
この深さはなんと強制労働として働かされて掘られた場所だったのです。
「ここは、強制労働キャンプの囚人が働いていた砂利採石場のエリアです。
数百人の犠牲者は、非常に厳しい仕事を手作業でしなければなりませんでした。
つまり、狭い幅のティッピングワゴンに砂利を積み込む責任があり、
それは小さな蒸気機関車に引っ張られました。斜面で砂利が積み替えられました
“幅の広い”荷台にチップワゴン。 (この“広い”は皮肉ですね)
この採石場では1日12時間以上働くことを余儀なくされました。
それらの多くは、疲労により亡くなったり、または警備員テロで死亡しました。」
(個人意訳です)
tipping wagonとはどんなものだろう?と気になったので調べました。
要は石を運ぶトロッコの大きな箱みたいなもののようですが、
ポーランド語のwagonikow tzw. koleb.の方で調べたところ、恐らくこの写真に近い状態で
働かされていたのではと考えられます。
kolejcieszyn.plより引用
採石場から右にまた別の場所があるので行ってみることに。
KARNY とあります。英語のPENAL=罰 つまりここにいた人達は
何かしら罰を与えられてしまったもっと状態の悪い場所です。
kasyno oficerskie SS/ umywalnia
「この建物は、SS(ナチス親衛隊)のためのミサの為の部屋であったと信じられていました。
洗面所をあったかもしれません。
ドイツとオーストリアのSSがいましたが、他の人はトラヴニキの男性でした。
近くのルブリン地区のトラヴニキで訓練されたからそう呼ばれていました
ドイツとトラヴニキの警備員は別々に暮らしこの収容所内でさまざまな役割を果たしました。
全員が囚人に対する残虐行為で知られていました。
でも戦前、多くはみんな「普通の男」だったのです。教師や郵便屋さん、商人に農民でした。」
(個人意訳です)
こちらは現在は本当にもう何も残っていない、ほぼ雑草のみの場所なのですが
このような場所が広がっている地域です。
Punishments and Executions ・・・罰と処刑
「収容所の囚人に課された罰は残忍であり、しばしば死に至りました。
一部の収容者は、罰である採石場または「籠」に送られたと言われています。
(これは処刑場所としても言われていました)
収容所入り口の近くで、数時間、中には数日間も放置される部屋でした。
囚人がこれらの場所に連れて行かれる理由はいろいろありました。
十分に努力しない(管理者基準による)または警備員の
サディスティックな気持ちからです。
生存者は、キャンプの他の場所で経験した残忍な治療についても話します。
囚人は射殺され、拷問され、打ちのめされました。
多くは囚人の兵舎の南の森林地帯に連れて行かれ、
並んで撃たれたり、残酷に暴行されたりしました。
多くの囚人もまた、厳しい生活と労働条件の果てに死亡しました。
ここでは最大10,000人が死亡したと推定されています。
そして、森の中の集団墓地に埋葬されました」(個人意訳です)
広い広い、今は何もない場所。
何も知らなければピクニックに最適な良い場所です。
(ここからカメラの設定を何か触ってしまって気付かず撮っていました。
しばし暖色がかっててすみません)
Studnia・・・ポーランド語で井戸という意味です。
ここには井戸があったようです。
この先には結構な深さの場所がありました。
Kitchen and Cellar
ここは低くなっていますがキッチンと収納庫だったようです。
下に降りる階段も残っています。(でも入れません)
このほかにもこの広大な土地には似たようなものがあったのですが、
すでに歩き疲れていた事、トイレに行きたかったこと、喉が渇いたこと、で十分見たし
戻るにもまだ遠いからここで終わりにしよう!と終わりにしました。
つくし発見。
久しぶりに見ました。気持ちが和みました。
ここまででぐるっと全部見たと思います。
ここでカメラの異変に気付いて色が戻ります。
さぁ戻りましょう。
今度は別の道から帰ってみましょう。
新緑の林のお散歩は気持ちがいいです。
先ほど二股に分かれた右側の所に出ました。(この写真は来た道を振り返ったところ)
先に右にくると、採石場ではなくこの広い方に出るのでます。
結構歩きましたがまだまだ。トロッコの線路まで戻ってきました。
最初に訪れたところ。
そして出口へ。
水を探しましたが、なんと売店にも売っていない!
流石に主人も「これだけの場所で水もないなんて珍しいね…」とびっくり。
私も、すでに外国で日本の当たり前が通じないのは分かっていたので
どこへ行っても期待はしていませんでしたが、せめて常温の水くらいはあると思っていました。
予想外です。これから行く方は是非お持ちくださいね。
最後に隣に併設する博物館にも行きました。
こじんまりとした建物で、とても静かでした。
ジオラマ模型があったのでこれで今日歩いた所の元々の様子が
よく分かりました。ちょっとした町です。
歩いた線路もこの通り、下の部分だけが残っているのですね。
以下ギャラリーにて(クリックすると大きくなります↓)
トレブリンカと言えば、ヤヌシュ コルチャック先生も有名です。
トレブリンカに限りませんが、ユダヤ人の子供達を救った方です。
「ヤヌシュ・コルチャック(Janusz Korczak, 1878年7月22日 – 1942年8月)は、
ポーランドの小児科医、児童文学作家で教育者。
本名はヘンリク・ゴルトシュミット。ユダヤ系ポーランド人。
1911年からユダヤ人孤児のための孤児院「ドム・シェロト」の院長となる。
著作と実践の両面から児童教育に力を注ぎ、子どもの権利という概念の先駆者となった。
1939年ドイツのポーランド侵攻によりヨーロッパで第二次世界大戦が勃発し、ユダヤ人に対する迫害が過激化していった。
時代はホロコーストという過去に例を見ない大規模な民族虐殺に向かうことになる。
1940年10月、ドム・シェロトの教師と子供たちはゲットーへの移住を余儀なくされた。
ゲットーの劣悪な環境の中でもコルチャックは最後まで執筆への意欲を失わなかった。
この時期に書かれた『1942年ワルシャワゲットー日記』には、ゲットーでのつらい日々が、
人生の思い出や白昼夢と幻想的に交ざりあいながら記述されており、彼の仕事の集大成ともいえるものである。
これはドム・シェロトでコルチャックの助手として働いていたイゴール・ネーヴェルリが密かに保管し、
1958年にようやく刊行された。
1942年7月から9月にかけてワルシャワゲットーの一掃が行われ、
8月6日に孤児院の子どもたちはトレブリンカ強制収容所に移送されて殺害された。
このとき、およそ200人の子供たちは集荷場までの道のりを、歌を歌い、ドム・シェロトの旗を掲げて行進したという。
コルチャックは自分だけが助かることを拒絶して子供たちと共にガス室で殺害された(あるいは銃殺された)。
トレブリンカには「ヤヌシュ・コルチャックと子どもたち」と刻まれた記念碑がある。」
wikipediaより一部引用
ワルシャワの文化科学宮殿前(中央駅を右に見たら裏側)にも
コルチャック先生と子供たちの銅像があります。
噴水の目の前にありますので是非見に行ってみてください🙂
という事でこれでトレブリンカ強制収容所訪問は終わりです。
私もいつか行ってみたいと思っていた場所だったので行けて良かったです。
ポーランド人としての見方も主人を通してお客様にもお話が出来たので満足してもらえました。
正直ユダヤ人というのは、ポーランド人(特にカトリックだからなのか)からは毛嫌いされて
いるように思います。
この理由は沢山ありますが、話を聞くと私は納得出来ました。
でも、これも立場や人によると思うので書かないでおきます。
建物が残ってない分、マイダネクとは印象が違いましたが、全部とは言わないまでも
一つ一つの看板の説明が分かりやすく、想像がし易かったのでここにも残しておきました。
行けない方の為にも、トレブリンカに行ったつもりになれていれば幸いです。
ワルシャワからの道はひたすらこんな道です。
タクシーやバスで行くのもありだと思いますが、何かあってもどうしようもない
何もない所にありますので、出来ればツアーで行く事をお勧めします。
個人で行く際には、たとえ何がおきようとも自己責任です。
その土地の人や文化や治安は関係ありません、
そこの当たり前を知らない無知が悪いのです。
訪れて良かったと思える旅にしてくださいね😉
<INFORMATION>
●ポーランド語名称 Muzeum Treblinka
Niemiecki nazistowski obóz zagłady i obóz pracy (1941 – 1944)
●住所
08-330 Kosów Lacki
Wólka Okrąglik 115
tel./fax: +48 25 781 16 58
mail: sekretariat@muzeumtreblinka.eu
●公式HP https://muzeumtreblinka.eu/
●開閉時間
毎日 9:00-18:30
※イースター、クリスマスはお休みです
●チケット料金
無料
●最寄り駅
マウキニア
●行き方アドバイス
こちらの記事に行き方の詳細を調べましたのでご覧ください。
●地図
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