トレブリンカ強制収容所(トレブリンカきょうせいしゅうようじょ、Konzentrationslager Treblinka)、もしくはトレブリンカ絶滅収容所(トレブリンカぜつめつしゅうようじょ、Vernichtungslager Treblinka)は、ワルシャワから北東約90kmに存在したナチス・ドイツの強制収容所である。ポーランドのユダヤ人絶滅を目的としたラインハルト作戦に則って作られた三大絶滅収容所の一つである(他にベウジェツ強制収容所、ソビボル強制収容所)。
4月に訪れたトレブリンカ強制収容所について残しておこうと思います。
先に行き方についてですが、今回ガイドとしてお客様と一緒に訪れました。
先日「トレブリンカへの行き方を考える」という記事を書きました。
これで調べていたので、電車&タクシーで行けなくはないのは分かっていましたが
やはりこの僻地っぷりをみるとやっぱり車の方が楽でいいなーと分かっていたので
ちょうど主人も行ってみたい&休みもとれたので一緒に行ってきました😉
お客様にとっては、初めて会うガイド&その夫と不安もあったと思います。
しかし、以前にもジェラゾヴァヴォラへもご案内した経験も
ここに残してあったので信頼してくださっていて「是非お願いします」という事でした😊ヨカッター
という事で個人で行くには「トレブリンカへの行き方を考える」を参考にしてください。
自力で行くのは、所要時間・治安面から正直あまりお勧めはしません。
そしてトレブリンカは行く価値があるか?という問題ですが
残っている建物が見たい、リアルに感じたいという人には
アウシュビッツ・ビルケナウかマイダネクの方がおすすめです。
ここは建物は何も残っていません。
ただ、場所としてはここも収容所があった場所。
内容はこれから画像と共に紹介しますが、アウシュビッツもマイダネクもダッハウも行った、
というようなユダヤ人関係の建物を目にしてきている方にはお勧めできます。
最初にここに来ても「強制収容所とは?」が殆ど分からないと思います。
では早速トレブリンカがどんな場所なのか紹介します。
1942年7月23日の開所から1943年10月19日に放棄されるまでの約14か月の間に
ここで殺害されたユダヤ人の数は73万人以上にのぼる。
–wikipedia「トレブリンカ強制収容所」より
まずここまでの道のりの間で「google street viewで見ていた通り本当に田舎だな…」と思いました。
個人の車で来て本当に良かったです。
到着し、駐車場には数台の車。無料のトイレもありました。
こんな僻地の施設で期待はしていなかったのですが予想外にトイレが綺麗でびっくりしました。
ここしかトイレが無いので、必ず行っておきましょう。
中はとてもとても広いです。
入場は無料ですが、売店がありそこで地図やガイドブックなどが売っていた気がします。
カードは使えないので注意。
たまたま団体で来ていた方の一人のおじさんが話しかけてきました。
話を聞いてみると「ここのアプリがあるから、僕はそれを作った一人なんだけど、
是非ダウンロードしてそれを見ながら歩いてみてよ!」とのことでした😀
「えぇ!?あなたが作ったの!?ありがとう見てみます!」
すごい人と出会ってしまいました。
早速そのAudioTripというアプリをダウンロード(リンク先は英語版にしてあります)
どうやらいくつか場所があって、トレブリンカ以外にも沢山あります。
トレブリンカを検索して入れていくと場所ごとの説明と音声が出てくるのです。
これはすごいですね、無料オーディオガイドです!
駐車場のすぐ隣に早速あったユダヤ教のシンボル六芒星。
そして沢山の石。
ワルシャワのギムナジウム(日本でいう中学校と高校が一緒になったようなもの)の生徒たちが
作った1500個の石で作られた追悼記念碑でした。
ホロコーストでは150万人の子供たちが亡くなったそうです。
ユダヤ教では石が日本でいうお線香代わりだそうです。その為ユダヤ人関係の所は
大抵石が置いてあることに気付くと思います。
中へ進みます。
ポーランドだとこれを森と呼びますが、松林が続きます。
矢印に沿って向かいます。
“ここには1942年7月から1943年8月の間に、ポーランド・ソ連・ユーゴスラビア・チェコスロバキア・
ブルガリア・オーストリア・フランス・ベルギー・ドイツそしてギリシャからのユダヤ人
80万人が殺されたナチスの絶滅収容所がありました。
1943年8月2日、囚人は武装反乱を組織しましたがナチスの絞首刑執行人によって殺されてしまいました。
ここから2 km先にある強制収容所では、
1941年から1944年の間に約10,000人のポーランド人がナチスによって殺されました。”(kaori意訳)
ポーランド語、ヘブライ語と他の言語でも書かれています。
obóz zagłady=絶滅収容所 という意味です。
中はまだまだ広く何も見えてきません。
脇によく写真でみるものがありました。
ここはその昔トロッコが通っていた線路跡だそうです。
しばらく線路沿いに進みます。
写真でもお分かりいただけると思いますが、ここ本当に広いです。
途中に休憩所やトイレ、何もありません。
ただ林の中を散歩しているようになるので、雨が降っても逃げる場所はありませんので
傘、日傘、それから飲み物もあった方がいいです。
トレブリンカ内どこにもお水も何も売っていません。
この辺りで地図があるので、よく見ておきます。
1.監視室
2偉い人の部屋
3ウクライナ人監視官の部屋
4動物園
・・・動物園!?
それ以降も、
5金や貴重品の建物
6理容院、医者、歯医者(でも*SSの人用)
など見ていくとなんでもここに作ってたんだなーと分かります。
*SS…ナチス武装親衛隊
…
24新ガス室
25旧ガス室
ここにもガス室はあったのですね。
「DER SCHLAUCH ガス室への道」も。
とりあえず中の方へ行ってみましょう。
殺されてしまったユダヤ人たちの国の名前がそれぞれ書かれている石。
ここにもイスラエルの国旗がありました。そして沢山の小石も。
みんな祈りと一緒に積んでいったのですね。
そしてトレブリンカと言えばの有名なあの石の所へ。
トレブリンカに来た!と思える場所です。
大きな石の扉のような形をしています。
重厚感が伝わるオブジェです。
辺りを見回すと無数の石。しかもそれぞれ尖ったとげとげの石。
そして一つ一つに地名が書かれていることに気が付きました。
大きくWarszawaも。ワルシャワにも沢山のユダヤ人が住んでいて、
沢山のゲットーもありました。ワルシャワにはユダヤ人墓地もあります。
NIGDY WIĘCEJ 直訳だと NEVER MORE ですが
伝えたい事は、「NEVER AGAIN」。
ここが確かガス室跡だったか、何だったか…
すみません忘れてしまいました。
石の裏側上部にはユダヤ教の燭台の絵も。
上に向かって半円状の燭台の絵は外国でも色んな所で見かけます。
あぁPiasecznoピアセチュノ!(ショパン空港の近くのエリア名)
石の大きさと人数が比例しているかは分かりませんが大小さまざま。
馴染みの地名があると、つい他も探してしまいます。
Łowiczウォヴィチも!(親戚がいます)
ポカポカ陽気のいい天気だったので、それぞれの石からの重みに耐えられましたが
これが寒い冬だったり、曇天の灰色の景色のなかだったりしたら
すごく悲しくなってしまうかもしれません。
幸い針葉樹林なので緑は緑ですが、とても静かなのでここももし一人で来ていたら
たとえ晴れていてもきっと違ったかもしれませんね。
写真で伝わるでしょうか、この夥しい石の数。
丸いわけでも、形作られたものでもなく、そのままの荒々しい石だからか
石の向こう側に咲いていたチューリップ。
この石の景色の中で赤いチューリップは一際目を引きました。
野生で咲いた?いやでもこんなところに?誰かが植えていったのかな…?
そんな想像も一緒にしながら歩き回りました。
私は地名を見ているだけでも、知っている地名があると場所がわかるので
そんな所からもここまで…とより実感がわきました。
写真だと分かりにくいですが、4月のこの時期はタンポポやほかの
小さな花で黄色い絨毯になっている事が多いポーランド。
次の場所へ向かいます。
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