
こちらのバラクでは沢山の靴が収められていました。

天気も良く、暑い位のポカポカ陽気でした。
新緑が綺麗で青空と緑の絨毯、そこに並ぶ焦げ茶色のバラクは一見何でもない物にも
見えてしまいます。ここにどれだけの人が詰められていたのか、想像もつきません。

とにかく広大な敷地。


こちらのバラクでは二段ベッドが並んでいました。
一つは大きい物、ここに何人寝かされていたのか…確か記録では大人がぎゅうぎゅう詰めに寝かされていた
かと思います。もう一つのバラクでは細長い物でした。
これらは時期の人数によって増やしたり減らしたり調節をしていたそうです。


そして敷地の端、マイダネクの一番奥にある霊廟まで来ました。
直径35m,高さ14.5mのドーム型になっています。
丘全体は、コンクリートが注入されており、御影石が並んでいます。
この言葉「„Los nasz dla was przestrogą”」は、
「私たちからの警告です」と訳されることが多いです。
Losにはポーランド語で「運命・宿命」という意味があります。
単に「警告です」と書いてあるのではなく、亡くなった方々の宿命として、
<こうなりますよ>
ということを後世への記憶として、残している強いメッセージだと思います。
「Pray for them…」などのように、ただ祈って欲しいとか記念碑にするのではなく
警告という形で残したのがこのマイダネクの伝えたい本質だと思いました。

ここにも尖った小さな石が並べられています。

隣に以前気付かなかった建物があったので入ってみました。
煙突があります。なんでしょうか。

入り口は薄暗い。


“亡くなった囚人の遺体から焼かれる前に貴重品を捜し求めました。
金の歯と義歯を取り除き、それらはSS経済管理本部(SS-WVHA)に送られました。(SSはナチスの親衛隊)
犠牲者の財産の略奪でした。”(壁にあった説明より翻訳)
この場所ですぐに分かりました。
ここは火葬場でした。




ずらっと火葬炉が横並びにありました。
こんなに入り口が小さくて入るのかなとふと思いましたが、
おそらくやせ細った方々が多かったから、もしくはすでに殺されてしまった後、
とにかく機械業務的に動いていたという事を想像すると大きさは関係なかったのかも
しれないと考えなおしました。

“火葬場の建物には、行政事務室、浴室、検死室、死体用の2つの部屋、そして燃料貯蔵所がありました。
それらは煙道の共通のシステムを持っていて、地下の導管で煙突に接続されていました。
遺灰は隣接するSS農場の土壌を肥やすために使用される堆肥に使われました。”
(パネルに書いてあったものの翻訳です)

“Erntefest”…(エルンテフェスト=収穫祭作戦(wikiより引用)
(独:Aktion Erntefest, アクチオン・エルンテフェスト)は、
ナチス・ドイツが1943年11月3日と11月4日の2日間にルブリン強制収容所(マイダネク)において
ユダヤ人を大量銃殺した事件のドイツ側の作戦名である。ユダヤ人側は「血の水曜日」と呼んだ )
“1943年10月下旬に第5フィールドの火葬場の近くでドイツ人はジグザグ形に塹壕を掘るためにユダヤ人を割り当てました。
それはマイダネクの防衛のために掘るということでした。
11月3日、午前中のコールの後のいつものように、命令はドイツ語で与えられました。
そこでは、5列に並んで第5フィールドへと素早い行進で行きました。同時に、同じ命令が全てのフィールドでも出されました。
また、入り口から第五フィールドまでの距離に装甲車両が駐車されているのを見ました。混乱と騒ぎの間に聞こえたかもしれない(…)
第5フィールドに入るユダヤ人たちは野原の真ん中に立っていた兵舎で理解してから火葬場の外で特別に作られた通路を通って行きました。
完全に裸になり外にで出て、そして彼らはそれらの溝に入って、それらの中で撃たれました。”
1943/07/14~1944/04/04の間マイダネク収容所に収容されたHenryk Nieścior(ヘンリク ニエシツィオル)さんのお言葉より

ポーランドに来て、収容所やこうした場所に訪れた時に感じて欲しい事の一つに
ただ悲しいだけじゃない、可哀想な人達という事だけじゃないという事があります。
事実として起こった事は想像も絶することで、正直想像出来ているものでも実際に体感したものを
比べたら比にならないものだということは間違いないと思います。
ただ、そこで残されたポーランド人・遺族の方々、また国としてしくしくと喪に付すような
状態であるかと言ったらそれは違うと日々の生活から感じています。
ポーランドの人達は明るく元気で、勿論性格もあるので人にもよると思いますが
戦争で起きたことを悲しい、というよりは、「あの時戦った家族は英雄だ」「私たちは頑張ったんだ」
「私たちのポーランド人としての誇りは崩されない」「私たちには強い絆がある」
「ただ、あった事実だけは、ずっと忘れないよう後世に伝えていく」
という、とても前向きで、勿論怒っているけどもでもそれに対して出来ない事を言い続けるのではなく、
許し、その代わり消されないよう伝え続けるという信念の強さを感じます。
現にポーランドの終戦記念日はとても盛り上がりいい雰囲気です。
日本の黙とうをして静かに過ごすものとは真反対と感じます。
日本の静かに過ごすのが嫌だとも悪い訳でもありません。
地形や気候や人種から出来た文化がそもそも違うので
いろんな角度から見ないと、外国の文化というのはそうそう理解出来るものでもありません
欧米は、と比べることが何かと多い様に感じますが、欧州と米国も恐ろしく違う文化です。
ポーランドに住んでいるとむしろ日本の方が同じ白人のポーランドよりも米国に似ているとすら感じます。
(これは戦後の影響ですね。)
欧州内でも国ごとで白人のキリスト教ということから似ていることはまだあれど、
全然違うのも感じます。
日本と中国、韓国だって隣でも、同じアジア人でも全然違いますよね
ただ「違う」だけなのですがこの違うことを受け入れることが非常に難しいものです。
日本で暮らしていると外国には全く違う文化、
根本から違う考え方があるということに気付くのが難しいのです。
ユダヤ人がどれだけ「違う」のかもまた、気付くことも理解することも難しいものです。
同じ価値観だけで見ず、滞在して新しく感じたことをそのまま素直に受け取って欲しいと思います

あくまでもこれも私自身の価値観からみたものなので、
そうは思わないという方もいらっしゃると思いますが
少なくともこう感じる人もいると知っていただければ幸いです
マイダネクはあまり知られていないのか、この日は平日だったのもあってか
ちょろっと人がいるくらいでほとんどの所で貸し切り状態でじっくりと
静かに見ることが出来ました。
英語が分かると更に展示物から当時の状況やその場所がなんだったかなど
よく分かると思うので英語は読めるといいですね
(ポーランド語・ヘブライ語でもいいですよ!
)
マイダネク収容所自体については2015年の記事で詳しく書いたので
今後行く予定の方は併せて是非こちらの記事もご覧ください。
きっとガイド代わりになると思います。
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便利な時刻表サイト
「jakdojade-Lublin」
https://lublin.jakdojade.pl/?locale=en
土日祝日はダイヤも違います。
またそんなに本数も多くないので、時間に追われている方は
しっかり調べてから行くことをおすすめします。
上記のサイトは日本でいうナビタイムのようなもので、
行きたいところの出発地点と目的地を地図上でクリックして選ぶと行き方を教えてくれます。
時間も設定すれば何時何分のに乗ればいいかなど教えてくれますので是非ご活用下さい
都市ごとの設定があるのでワルシャワやクラクフもありますよ!
ポーランドでの訪問がよい旅の思い出となりますように。