2019年今年からワルシャワ中央駅に新しい名前が付いたそうです。
そもそもワルシャワ中央駅はポーランド語だと「Warszawa Centralna」,または
現地では「Dworzec centralny」ドヴォジェツ ツェントラルニィ と呼ばれます。
「Kraków Główny」のような他の都市でよく聞く「~Główny」(これはメインの、という意味です)がつかないのです。
その時点で少し特別感があるのですが、実は「Warszawa Główny」も昔はありました。
しかしそれが移動して今の場所になり、Warszawa Głównyは今は鉄道博物館になって保存されているのです。
その為現在のワルシャワ中央駅は「Dworzec(略してDw.) centralny」=列車のセントラルという訳になりますが、
要は同じく中央駅となります。
バス停の名前がDw.CentralnyなのでWarszawa CentralnaよりはDw.centralnyで覚えておくと
観光の際には役に立ちます😉
そんなDw.centralny(Warszawa Centralna)に人の名前がつきました。
Stanisław Moniuszko スタニスワフ モニュシュコさんという方の苗字がついて
これからは中央駅はモニュシュコ駅、と呼ばれるのが普通になるのかもしれませんね😬
これは例えるならばワルシャワ空港がショパン空港
クラクフ空港はヨハネパウロ2世空港
グダンスク空港はレフヴァウェンサ(日本だとワレサで知られる連帯のあの人です)空港
のように、
ポーランドを代表する方の名前がついたのと同じです😉
正直他の都市の人は大体知っていましたがこの方については全く知らなかったので
少し調べてみました。
Stanisław Moniuszko
1819年5月5日(現在でいう)ミンスクの近く生まれの作曲者、指揮者。
愛国心のある伝統を持つポーランドの貴族として生まれる。
オペラの父と呼ばれ、アダムミツキェヴィチの詩による歌集も作曲した。
(アダムミツキェヴィチさんと言えばワルシャワ旧市街の手前やクラクフの織物会館前ど真ん中に大きな銅像がある
東欧ではそれはそれは有名な詩人です。リトアニアやウクライナに行っても銅像があります!)
1863年1月22日に始まった旧ポーランド・リトアニア共和国領(現在のポーランド、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ北部とロシア西端部)
で発生したロシア帝国に対する武装蜂起、1月蜂起の発生直前と直後に作られた”Halka” と”Straszny dwór”のオペラは
中でも代表作となっています。
スタニスワフ・モニュシュコは1872年6月4日に心臓発作のためにワルシャワで亡くなりました。
彼はワルシャワのCmentarz Powązkowski墓地に埋葬されました。
ショパンの両親もここにいるのですが、実はお墓が隣同士。(詳しくはリンク先の記事にてどうぞ)
こちらがショパンの両親のお墓(2015年にお客様と訪れた時の写真)
そして右隣りにあるのがなんとこのモニュシュコさんのお墓でした。
(しかも以前の記事にもちゃんと自分で書いていたのにすっかり頭から抜けていました😂)
私にとってこのスタニスワフ・モニュシュコさんがどれ位凄い人か最も分かりやすかったのは
ショパン同様お札にもなっている人という事です😀
しかも額がショパンよりかなり上!😲
ポーランドではショパン以上の人なのでしょうか🙂
ちなみに仕事以外の事に非常に疎い主人でもモニュシュコさんの事は知っていたので
これは相当に有名な人なんだと思います😜
そしてオペラの父と呼ばれたモニュシュコさんの作品で
“Halka(ハルカ)” と “Straszny Dwór(ストラシュニィ ドゥヴォル)“というものがあります。
モニュシュコさんが作ったオペラは特に世界中で評価され人気だそうです。
動画を発見したので残しておきます。
「Halka」
「Straszny Dwór」
今年モニュシュコさんの生誕200周年ということでワルシャワ中央駅にその名が付いたそうです。
これからはスタニスワフ・モニュシュコさんをしっかり覚えておこうと思います🙂
もし今後モニュシュコ駅と聞くことがあればそれはワルシャワ中央駅の事なので
観光の前には是非頭のすみにいれておくと役に立つかもしれません😉
ポーランドオペラにもますます興味がわいてきました!
皆さんも是非覚えておいてくださいね😊