<NEW2023年5月情報を見直し、営業時間などを一部更新しました>
以前はこんなオレンジと絵が描いてある建物でしたが、
現在は真っ白に!
キュリー夫人の旧姓はスクウォドフスカさんと言います。
キュリーはフランス人のご主人の苗字で、ポーランドの名前で言うとキュリー夫人は
「マリア スクウォドフスカ」さんです。
そんなキュリー夫人、マリアさんの生家であり現在博物館となっている館内を
生い立ちと一緒に写真でご紹介します。
(入り口から入って2階にある博物館エリア始め。家系図などがあります。)
1867年11月7日ワルシャワ生まれ。
1884年から1891年まで家庭教師として働きながら大学入試勉強をし、
その頃化学分析の訓練を始めて研究作業に没頭するようになりました。
1891年24歳の時にソルボンヌ理科大学で学ぶためにパリへ。
1893年に物理学の学士試験に合格し、
1894年には数学の学士試験にも合格。
1895年ピエール・キュリーと結婚。
このキュリー夫妻のウラン鉱石放射能研究は1898年に強い放射能を持った二つの新化学元素
「Poポロニウム」と「Raラジウム」の発見に導きました。
このポロニウムはポーランドのポーランド語「Poloniaポロニア」が語源と言われています。
ポロニウム・・・wikipediaより
ポロニウムの存在を示唆した際に、ポロニウムを含む精製物がウランの300倍の放射活性を持つと記した表現が一人歩きして、ウランの300倍の強さの放射能を持つという表現がされることが多いが、実際にはウランの100億倍の比放射能(単位質量当りの放射能の強さ (Bq/mol, Bq/g))を有し、ごく微量でも強い放射能を持つ(ただし、逆に自然界にはウランの100億分の1程度しか存在しない)。さらにポロニウムは昇華性があるため内部被曝の危険が大きく、厳重な管理の下で取り扱わなければならない。しかし、ポロニウムが発するα線自体は皮膚の角質層を透過できないため、ポロニウムを体内に取り込まない外部被曝に関しては危険性は少ないともいえる。アルファ線源や原子力電池に加えてベリリウムと組み合わせて中性子発生源として核兵器の起爆装置にも使われる。
ラジウム・・・wikipediaより
ラジウムがアルファ崩壊してラドンになる。ラジウムの持つ放射能を元にキュリー(記号 Ci)という単位が定義され、かつては放射能の単位として用いられていた。現在、放射能の単位はベクレル(記号 Bq)を使用することになっており、1 Ciは3.7 × 1010 Bqに相当する。なお、ラジウム224、226、228は WHO の下部機関 IARC より発癌性があると (Type1) 勧告されている。
以前は、放射線源として放射線治療に使用されたが、現在は工業的な用途はほとんどない。
また、1990年代以前は時計の文字盤などの夜光塗料として利用されていた。
(キュリー夫人の研究室を再現した展示物を見ることができます。)
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1903年、マリアは放射性物質の研究により物理学博士号を授与され、
同時に夫と、ヘンリー・ベクレルと共に
ノーベル物理学賞を授与されました。
1906年、夫のピエールが事故により無くなった後、
マリアは彼のソルボンヌ大学物理学部講座の後継者として指名されました。
1911年、マリアは金属ラジウムの分離に関する業績によって
ノーベル化学賞受賞
1912年にラジウム研究所をパリに設立するために努力し
亡くなるまで研究所の物理化学部長を務めました。 |
第5回ソルベー会議出席者(1927年)
最も有名な会議は1927年10月に開催された第5回ソルベー会議である。
この会議の主題は「電子と光子」であり、世界中の高名な物理学者が定式化されたばかりの量子力学について議論を交わした。
同年にヴェルナー・ハイゼンベルクによって不確定性原理が導かれ、
量子力学の解釈を巡る激しい議論が繰り広げられたのもこの時期である
(後列)ピカール, E. Henriot, ポール・エーレンフェスト, Ed. Herzen, テオフィル・ド・ドンデ, シュレーディンガー,
J.E. Verschaffelt, パウリ, ハイゼンベルク, R.H. Fowler, レオン・ブリユアン,
(中央)デバイ, クヌーセン, ローレンス・ブラッグ, クラマース, ディラック, コンプトン, ド・ブロイ, ボルン, ボーア,
(前列)ラングミュア, プランク, マリ・キュリー, ローレンツ, アインシュタイン, ランジュバン, Ch. E. Guye, ウィルソン, リチャードソン
第一次世界大戦中、彼女は移動X線班をつくり前線にて自ら装置を操作して
傷病者を検査し放射能技師を訓練していました。
1918年~1934年の間、ポロニウム、アクチニウム、トリウムの放射能を研究し、
同時にパリのラジウム研究所にて運営と教育も務めました。
マリアはフランスと深くかかわっていた一方祖国ポーランドとも緊密な連絡を取り続けました。
彼女の努力と指導によって、ポーランドの放射能研究所は研究を展開できるようになったのです。
キュリー夫人の名前が付いたウラン鉱物「Skłodowskit (英:shinkolobwit, chinkolobwit,Sklodowskite)」と
「kiuryt」「 kuproskłodowskit」
参照:http://www.if.pw.edu.pl/~pluta/pl/dyd/mfj/zal03/szydlowski/Podstrony/sklodowska.htm
(細かな展示品が棚に飾られています。)
1932年彼女の先導と雅量によりラジウム治療のための研究所がワルシャワに設立されました。
1934年7月4日、
長年にわたる放射性物質の被ばくによって引き起こされた白血病の為
フランス・サボア地方のサンセルモで亡くなりました。(66歳でした。)
キュリー夫人は研究のためにポロニウムとラジウムを小瓶に入れて常に持ち歩いていましたが、
研究用の標準服以外には放射線から身を守るような服は何も着ていなかったそうです。
キュリー夫人の死後、彼女の自宅はパリ原子物理学研究機関とキュリー財団が1978年まで使用していました。
しかし家の中に残った放射性物質の危険性が明らかになった後、家全体が政府の監視下に置かれることとなり、
しばらくの間は誰も家に入ることができなかったそうです。
1991年にようやく自宅と研究室の除染作業が行われ、研究資料やノートが家の外へと持ち出されました。
Marie Curie’s Research Papers Are Still Radioactive 100+ Years Later
http://www.openculture.com/2015/07/marie-curies-research-papers-are-still-radioactive-100-years-later.html
現在、キュリー夫人の手書きノートはフランス国立図書館で保管されているのですが、
キュリー夫人が持ち歩いていた放射性物質の半減期は1601年のため、
ノートを始めとした研究資料や衣服、家具、料理本に至るまでキュリー夫人の持ち物はいまだに放射能を持っており、
今後何世紀にもわたって鉛の箱に入れて保管しなければ危険な状態です。
フランス国立図書館では写真のノートを見ることができるのですが、
免責同意書にサインした上で、防護服を着て慎重に取り扱う必要があるとのことです。
引用:gigazine
女性でノーベル賞をとったのはキュリー夫人が初。
二度のノーベル賞をとったのもキュリー夫人が初。
そして現在でも物理学賞と化学賞の両方受賞したのもキュリー夫人だけという
偉大な功績を残した女性です。
博物館フロアは1フロアのみのようで、バルコニーは出ることが出来ます。
バルコニーからの新市街の景色もきれいですのでこちらも是非 🙂
入り口入ってすぐ左のチケット売り場の前はお土産屋さんになっています。
主に書籍で、マグカップやTシャツなども少しありました。
物理、化学に興味がある方、キュリー夫人に興味がある方、
是非訪れてみてください 🙂
<INFORMATION>
●ポーランド語名称 Muzeum Marii Skłodowskiej-Curie
●住所ul. Freta 16 ,00-227 Warszawa
●公式HP
https://www.mmsc.waw.pl/
●開閉時間
日、月曜休館
火曜日 – 土曜日 12:00 – 18:00
入場は30分前まで
チケット販売は17:45まで
時期によって変わるかもしれないので
行く前に一度公式HPを再度ご確認ください。
https://www.mmsc.waw.pl/en/plan-your-visit/
●日本語のパンフレットをダウンロード出来ます
こちらからどうぞ!(pdfファイルです)
●チケット料金
大人11zł
(20zł札の準備を!50zł札以上だとお釣りのない可能性があります)
カード払いも出来た気がしますが忘れてしまいました。すみません。
●所要時間 30分
説明書きはすべて英語かポーランド語、フランス語の為、展示パネルが読めないと
もっと早く見終わってしまうかもしれません。
●最寄り駅
もしバスで一気これだけの為に近くまで行くのだとしたら、
「Pl.Krasińskich 01」プラツ クラシンスキフ停留所 116、178、180、503、518番バスor
「Świętojerska 01」シュフェントイェルスカ停留所 180番または227番バス
が一番近いです。地図で場所を確認してください。
●行き方アドバイス
旧市街観光の最中、バルバカンをくぐったらそのまままっすぐ行けば右手にありますので
その流れで歩いていくといいと思います 🙂
●地図
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