急な不幸があり、初めてポーランドのお葬式にあたるものに出席したのですが、
色んな事が興味深く、また衝撃的で、カトリックがどんな宗教なのか、
またポーランドの人々の敬虔さを改めて感じるとともに文化の違いもより感じたので
今日思ったことを残しておこうと思います。
まず、初めにポーランドのお葬式について以前詳しく書いた記事があるので
こちらの「ポーランドのお葬式」をご参照ください。
流れとしてはこのような感じだったのですが、
以前記事内で書いたようにまず最初にいくつかびっくりしたことがありました。
●服装は日本と比べるとかなり自由。しかし基本的には黒もしくは暗い色ならOK.柄もOK.
私はクリスマスなどのイベントに着るたまたま真っ黒のワンピースがあったのですが
膝上なんですけどそれでOKでした。黒いストッキングと黒い靴で行きました。
●おばあちゃん率が圧倒的に高い。(おじいちゃんは何故来ないのか)
●来る人の幅がよくわからない。
例えば、日本なら親族もかなり遠くまで来ますよね。それから友人、会社関係など実際そんなに
思い出がないような人でも。それがここだとそういった“義務”と感じるものが一切ありませんでした。
血筋も面識も関係なく、来たい人だけが本当に来た感じでした。
そんなことを準備中から教会についてまわりをざっとみて思いました。
そして、ミサの開始45分前には教会に着いて、主人と合流。
まだ棺も教会内に運ばれてなかったのですが(ポーランド版霊柩車はメルセデスベンツだった)
「みんなもう中にいるから行こう」と主人に言われ中に入ったら声が聞こえる・・・
まだミサじゃないのに、すでにいる人たちだけで何かを唱えていました。
正確には聖書の文章?普段のミサでも読むものだそうですが、特におばあちゃんたちは敬虔な人が多く、
毎日ミサに出ているので全部暗唱していらっしゃるそうです。
すごいと思いました。なぜすごいかと言うとミサが始まるまで1時間近くずっと唱えているのです。
(よく覚えてるな~)
一人のリーダーおばあちゃんがいて、その人が神父さん代わり(?)で何か最初の一言を言って、
そのあと全員で何かを言うのです。
日本じゃたとえお葬式だろうが一般人は何も言えないですよね。
そんなの教わってもいなければそういう事もされてこなかったのでただ正座が辛いという記憶しかないです。
それこそお葬式で初めて「うち仏教の○○宗だったんだ」と気付く程度のものなのに、
こちらはすごいですね。全員が神父さん並みでした。主人も妹も。
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ロザリオ=różaniec(ルジャニエツ)
ところで、ロザリオのビーズって一つ一つ数えながら唱える時の道具って知っていましたか?
隣にいたおばあちゃんはよく日本では若者のファッションネックレスとして売っているような
長い赤いロザリオを持って唱えていたのですが、実際使っているところは初めて見たので少し衝撃的でした。
そういえば仏教の数珠も本当は色々意味があるんですよね。
十数年前、ファッションとして数珠が流行ったこともあったり・・・流行る時点でおかしいな
ジャニーズの写真が見えたりするものや綺麗な色は売り切れ続出で仏壇屋さんに買いに行った思い出があります^^;
親指だけにひっかける小さなロザリオもありますが、これは短的に唱える時用です。
いずれにしても今までロザリオだけでなく、十字架をアクセサリー感覚でつけていたことを
なんだか申し訳なく感じました。
今の主人と出会って最初に止められたのは十字架グッズでした。
「僕の前では十字架付けないで。君はカトリックじゃないでしょ?神を信じてないんでしょ?」
私はなんだか中学生の頃あたりから教会が好きで(中二病というやつでしょうか)
十字架グッズ・ロザリオは沢山持っていたのでこれを言われたときには
「そこまで厳しいの!?」とびっくりしました。
・・・でも彼の言う通りだと思いました。(まして初めて見た本物のカトリック教徒。)
神を信じてつけているわけではないし、これは実際そういう意味があるもの。
私も外国で鳥居が適当に扱われている事を不快に感じるので、そんな感じだと思い
全てを日本に置いてきてから早5年。
そして今日。
“そんな感じ”どころの不快さじゃないことに気付きました。
何故かというと私はそもそも不快に思ったと言ってもそんな敬虔な神道でもなければ
宗教と言うものをよくわかっていないので不快と言ったって大したものではないのです。
(神主さんが見たらきっともっと嫌な気持ちになるのかな、それとも結局人によるのかな…)
今も宗教についてはそんなに分かっているわけではないですが、
少なくとも多くのカルチャーショックを日々受けています。
でも文化があまりにも違うので、日本で日本人が何をどうしようとそれはそれでいいと思うんです。
十字架グッズなんて、特に女性用のアクセサリーでどれだけ溢れている事か!
いいじゃないかわいいんだから!シンプルなのにかっこいい!
いいの日本だから!それが日本だから!
ただ、逆に外国人が日本の神に関する事で何かしていても文句は言えない、
という事だけは覚えておかなければなりません。
あまり気にしなくていいと思うのは、
イエスを侮辱するつもりでつけているわけじゃないですもんね。
どちらかというと欧米に憧れがあってつけている方が多いと思います。だからいいと思うのです。
しかし、一部のこちらの人からすれば“馬鹿にしている”と感じられてしまうのも事実です。
特にヨーロッパの中でも「ポーランド人ってほんとカトリック強いよね」と言われるくらいの国ですので
外国ではそう言った事を少し配慮していただけると、お互いに気持ちよく過ごせると思います。
クリスマスやイースターなどの祝日もそうですが、
本場ではどういう意味があるのかを最初から知っていると、のちに海外旅行した時やその土地の人に
会った時に恥をかかずに済んだり、より現地の雰囲気を意味を込めて楽しむことも出来るので
カトリックに関しては今後も紹介していこうと思います。
ついでに・・・
おそらく教会に入って椅子に座って少し雰囲気を楽しむ方もいらっしゃるかと思いますが、
下にあるのは足置きではなく、あそこは膝をつくところなので靴でそこに足を置かないように
ご注意ください。
ミサ中必ず数回、膝をついて祈る行為があります。その時間はミサの中でも重要な時間です。
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葬儀屋さんもしっかり毎度十字を切ります。
4人で棺を担いできて、同時に膝をつき、十字を切り、そしてお辞儀をして揃って帰る。
この綺麗にそろった姿がまたぞくっとしてしまいました。
(私は本当にここにいていいんだろうか・・・)と何度も思いました。
ミサはいつも以上に膝をつく回数が多く感じました。
ミサが終わって、棺が車に運ばれ、同時にお墓へ向かいます。
●日本みたいにクラクションを鳴らすことはしないんですね 😛
次にびっくりしたのはお墓での場面。
そもそも土葬ですので棺そのまま埋めるのですが、お墓一つ一つは大きいのですけど
隣との感覚は狭いのです。
そこをどうやって入れるまでのことをしていくのかと思えば・・・
●えぇ!?あけた蓋を隣の人のお墓の上に!?(完全に物置になっている)
●えぇ!?掘り起こした土(ポーランドは土と言うより砂ですが)でお隣さんそんな汚して・・・
●えぇ!?いくら狭いからって隣のお墓の上歩いちゃう!?
●えぇ!?花束も平気で荷物置き場に人のお墓に置いちゃうの!?いいの!?
●そもそも掘り起こしたおじさん4人が普通の格好(お揃いの青いつなぎ、スコップ、赤い軍手)すぎて、
この場にスゴイ衣装の神父もいるのになんて合わないんだろう…
●神父さん、マイクでここでも何かを唱える。
●スタンドスピーカーもあって、お墓にスピーカー&マイク…なんて違和感!
●埋める時にスピーカーからプァ~とトランペットの曲が流れだし、なんだか合わないなと思っていたら、
その次にはショパンの葬送行進曲が!これはやはり悲しい!!
などなど…結局お墓と言うものはただのモニュメントであって、それ自体を敬うというか
そういったものは何もないんだなと気付きました。
でもそれが一神教なんですよね。神がすごいのであって、神が作ったものはすごくない。
日本は八百万神だから、なんでしょう、どこにでも神がいるから
色んなもの大事にして色んな所敬うところで育った私はこう思ってしまうのでしょうね。
それから、お花は何でもいいようです。
今回は赤いバラと緑のカーネーションのような花の大きな花輪でした。
他に持ってこられた花は白い花が多く感じましたがそれはたまたまだったようで、
周りを見回してもまあどこもカラフルで綺麗でお墓だけどもお花畑のようでした。
神父さんが何か唱えて、人々はアーメンと言ったりして、
聖水をかけて、さらに砂をかけて、そして埋める。
埋める時に人々も最後のお別れに一掴み砂をかける。
本当に重そうなお墓の蓋を4人がかりでマリオみたいなおじさんたちが閉じて
終わりです。
その後は、普通はご飯会があるそうですが、これは賛否両論らしく、
今回はほとんどの人が反対派の人たちで「絶対に行かない!」と言うのでやらずに
久しぶりに会った親戚とだけで普通にランチをしました。
やる人は、やはり日本のように大人数でやるそうですが一つ違うと思ったのは
基本的には家に招いて、手作り料理をふるまうという事。(レストラン版も勿論あるそうです)
前におばあちゃんがやった時には小さな一人暮らしの家に何十人も来て、
コンロが足りないから近くに住んでいる娘も家で同時に焼いては持ってきてを繰り返し、
コトレトやピエロギ、ナレシニキや紅茶など普通なものを振る舞うそうですが
ゆっくり食べるわけではなく軽く来て食べてすぐ帰る、というようなものだそうです。
手づくりが一番価値がある、というのは文化としてしっかり今でもあるのがいいですね。
日本じゃ毎度どこかで宴会だな~お酒臭いオヤジの記憶しかありません・・・^^;
日本だと体を焼くという時間がまずありますからね、そこからして違うんですけども。
同じだと思ったことは、お金がかかること、神父に袖の下を通すこと、思い出話をするという事でした。
泣いている人にもらい泣きして、全く知らない人なのにこっそり涙を流したのは秘密です。
またカトリックについて一つ詳しくなった1日でした。
おまけ。
一つショックだったのは、以前ハロウィンで私が作った大きなリースが
ミサの最中(だと思うのですが)マリオ達によってお墓を掘り起こすときに勝手に捨てられたという事です・・・(涙)
確かにもう少し古くなってたけども…せめて一言言って欲しいものでした。