2015/08/08-9(土日)
東京からお越しのM様御夫妻のガイドをしました。
8月のこの時期はいつもならここまで暑くならないのに、
今年は異常気象で35度前後の日々が毎日続きポーランドも猛暑が続き、
せっかくの避暑旅行になるはずがこちらも暑い・・・しかしその分、
毎日青空が見られて緑も鮮やかで綺麗な景色を毎日楽しむことが出来ました^^
この日も快晴!なるべく日陰を歩いていきましょう!
インフォメーションセンターの前にいつもクラシックカーが停まっていて、
これはなんなんだろうとよくよく見てみたら、この車で個人シティーツアーが出来るそうです!
詳しくはツーリストインフォメーションまで、ということでもしこれに乗りたい方は
インフォメーションカウンターにて聞いて下さい^^
バスの運転手さんを待っている間、若くてとても綺麗な女性がこれに乗って車を動かしていたのでドライバーさんなのか、ただ動かしただけなのか・・・分かりませんでしたが細くてワンピースの似合う可愛い人でした~♪
********ショパンバスに乗って約1時間********
この日は他に2名日本人と、1人イタリア人女性の方がいました。
後で気付きましたが、この日本人の方々はどうやらイタリアに住んでいるそうで、イタリア人女性とイタリア語で会話しているのを聞いてびっくり!すごい~!!!
私もポーランド語喋りますが、いやいや、やはり外国語話せる方を見るとすごいと思ってしまいます。
ジェラゾヴァヴォラ到着!
早速コンサートがあるので敷地内中央にあるショパン生家へ向かいます。
あまりの暑さに、いつもならすぐ埋まってしまうベンチもご覧のとおり・・・
直射日光下は確実に日射病になると思うほどの暑い日でした。(きっと日向は40度近い)
ちょっと早めに行ったおかげで、日陰のベンチをゲット!
土曜日も実はコンサートが行われています。
日曜日はプロのピアニストの方、
土曜日は学生さん?若い方の演奏で、それでも数々の賞を受賞している人なので
素人の私からすれば、素晴らしい演奏です。
M様に借りた日傘がとても役に立ちました。
本当に、日の下だけがとてつもなく暑い!!
日陰にするだけで、体感気温が5度くらい下がるのではないかと思うほど涼しいのです。
夏の太陽パワー恐るべし。(その力を冬にも出して欲しい・・・)
1時間のコンサートのあとには、ショパン生家内博物館へ^^
M様御夫妻とても嬉しそうです。
ショパンが大好きで、ここに来れた事が本当に嬉しかったそうで
終始笑顔のお二人といて私もとても嬉しくなりました^^
ここには国で保護されている古い木もあります。
ショパンが生まれた時からある木かもしれません。^^
面白い花がありました。なんだかソフトクリームのよう!?
色は白ばかりでしたが、形の違うアジサイのように見えます。
これがまた、写真では分からないほど大きくて、「ポーランドは花も大きいですね~!」と
色んな花を見ながら公園を楽しみました^^
あ!!キツツキがいましたよ!!!
つついてはいませんでしたが、木に上ったり下りてきたり。
頭のてっぺんが赤くて可愛かったです^^♪(写真木の根元にいます)
敷地内端にあるこのショパン像は、最古のショパン像だそうです。
「こんな広いプライベートの庭があったら、毎日散歩しちゃうよなぁ~」
「プライベート川までありますよ!」
「夏は気持ちが良さそう~!!」
「何かいるかな~」「よく見たら魚がたくさん!!」
意外と流れの速い川もあります。
綺麗に咲いていた大きなカサブランカ
クリーム色のバラもとても綺麗でした^^♪
そしてポーランドでよく見る何かの実その1(左)とその2(右)
その1の方は、ぶにぶにとしていて、中に種のようなものが入っています。
梅のような感触ですが木を見ると松ぼっくりがつきそうな木なのでこれはなんなんだろうと毎年の謎です。
その2の方は、みずみずしく、綺麗な赤いつぶが可愛い木なのですが、
南天やナナカマドのように固くないのでこれもなんだろう?とM様とじっくり見ていました。
近代的なショパン生家にある入り口の建物。
お土産屋さんや視聴覚室、トイレ、ロッカーがあります。
建物の一番奥にある視聴覚室では、英語バージョンとポーランド語バージョンのこの生家についての
説明が流れています。少し暗くなっていて涼しいのでゆっくり休憩しました^^
<お土産屋さんにて>
「Ekierの楽譜だ~!」
とM様これを熱心に探していました。
どうもこのEkierさんの楽譜はショパンコンクールでもオフィシャルで使われる楽譜で、
日本では高いそうで中々手に入らないのだとか。
ついでにこのJan Ekierさんについてどんな人なのかとウィキペディアを見てみたら、
凄い人でした。
“ヤン・エキエル(Jan Ekier、1913年8月29日 – 2014年8月15日)は、
ポーランドのピアニスト、教育者、作曲家。フレデリック・ショパンの研究家として知られる。
クラクフ生まれ。妹のハリーナ・エキエル(1915年-1962年)もピアニストだった。
ヤギェウォ大学で音楽学を学んだ後、ワルシャワ音楽院でズビグニェフ・ジェヴィエツキにピアノ、そしてカジミェシュ・シコルスキに作曲を師事する。その後、ブロニスワフ・ルトコフスキにオルガンを師事する。
1937年、ショパン国際ピアノコンクール第8位を獲得。
1944年、ワルシャワ蜂起に参加。
1947年、グダニスクのスタニスワフ・モニューシコ音楽院の設立に参加し、翌年まで学長を務めた。
1962年~1969年までクラクフ音楽アカデミーの教授を務めた。
1964年~1972年、そして1974年以降、ワルシャワ国立高等音楽学校のピアノ科教授となり、世界各国でもマスタークラスを受け持つ。
1959年からショパン・ナショナル・エディション財団によるショパン全集「ナショナル・エディション」の編集主幹となり、補遺作品集を除いて2010年に完結させる。1949年よりショパン国際ピアノコンクール審査員となり、1985年より審査員長を務める。
1964年および1974年にポーランド文化大臣賞一等賞を受賞。
1995年よりショパン音楽アカデミー名誉博士。
2000年8月17日にポーランド復興勲章星付きコマンドルスキ十字勲章 (二等)を受賞。
2010年10月21日に民間人としては最高位の白鷲勲章を受賞した。
2013年8月29日、100歳の誕生日を迎えた。
2014年8月15日、ワルシャワ市内の病院で死去。”wikipediaより
簡単に見ただけでも生涯をピアノと共に過ごして来た人なのだと分かります。
勲章も沢山持っているそうで、ショパン関連に関してはこの人なしでは語れない方なのですね。
また一つ勉強になりました。M様ありがとうございます。
そのほかにもお土産を色々買って(♪)ワゴンに乗り込みます。
入り口の門には「DOM URODZENIA FRYDERYKA CHOPINA」のレリーフ。
「フレデリックショパンの生家」と言う意味です。
“え?名前はFRYDERYK CHOPINじゃないの?”と思った方。するどいです。
ポーランド語は名詞も活用するので、こうなってしまうのです。
ポーランド語の難しい所です・・・・・・
さぁ、ワルシャワへ帰りましょう!つづく。