せっかくヨハネパウロ2世の町に来たからには彼の生涯が分かる博物館も行かねば!
博物館はこの教会の右側にあるのですが、チケット売り場は
この教会の左側のグレーの建物の一番奥にあります。
In Wadowice, there is Family home of John Poul museum.
This museum is next to this church(on right), but ticket office is different place.
You can see gray building next to church(on left), and ticket office is last of that.
I recommend online booking ticket.
When we went to there on noon, already ticket available starting 16:20~.
And still many people waiting in line.
Visiting the Museum: Entrance only with a guide in groups of 25 persons each,
every 10 minutes. The daily number of tickets is limited.
Tour of the exhibition takes approximately 70 minutes.
Website(you can change in English,French or Italian)→ http://www.domjp2.pl/
小さなチケット売り場です。
Small ticket office. You can pay by credit card.
通常のチケット料金は大人一人18zlです。ガイドはポーランド語です。
Normal ticket – 18,00 zł(with guide in polish)
Normal ticket ** – 25,00 zł;
Reduced ticket – 10,00 zł;
Reduced price ** – 17,00 zł;
Family ticket – 40,00 zł
(up to five people – 2 adults + 3 children under 16 years of age or
1 parent + 4 children under 16 years of age);
Family ticket ** – 50,00 zł
(up to five people – 2 adults + 3 children under 16 years of age or
1 parent + 4 children under 16 years of age);
Group ticket normal – 15,00 zł per person (10 people);
Group ticket normal ** – 20,00 zł per person (10 people);
Group ticket discount – 8,00 zł per person (10 people);
Group ticket discount ** – 13,00 zł per person (10 people).
* – A service for guided tours is included in the ticket price
** – With a guide in a foreign language
博物館はおよそ70分間必要です。
ガイド付きなので時間が前後することはあんまりありません。
この時12時前でしたが、人数制限があるのですでに16:20の回までうまっていました。
私たちは先に予約してたので問題ありませんでした♪
大聖堂の右手にあるこの建物が博物館です。
Here is Museum right side of basilica.
残念ながら写真禁止なので、代わりにHPにあった内部の写真をちょっと載せておきます。
ついでにちょっとローマ法王について語っていきます。
この部屋ではラテン語で書かれた本と世界各国の言葉で書かれた
聖書の何かの言葉が書かれたレリーフが飾ってありました。
博物館ではまずここが入り口のところになりますが、
ヨハネパウロ2世(ポーランド語ではJana Pawełヤナパヴェウ)は法王としての名前であって、
ちゃんとした本名は、 カロル・ユゼフ・ヴォイティワ(Karol Józef Wojtyła)さんといいます。
カロルが名前、ユゼフはミドルネーム、ヴォイティワが名字です。
1920/5/13ポーランドのここヴァドヴィツェ生まれ。
パーキンソン病を患っていた彼は2005/4/2に敗血性ショックで満84歳で亡くなりました。
とても頭の良い子供だったそうで、学生時代の成績表も展示してありましたが、
ほとんどvery goodでした。5段階の5ばかり、という感じです。
また10ヶ国語を流暢に話せたそうで、勉強が好きだったそうです。
実際住んでいた部屋の再現もありました。
こういうのって普通触っちゃいけないもんだと思うのですが、
ガイドさんががっつり椅子のベロアのところつかんで話していたので、
「あ、いいのか」とちょっとびっくりしました。
本当に普通のポーランドの部屋で法王といえどもとは普通の人だったということが感じられました。
足踏み式のミシンが置いてあって、8歳の時に母をなくした彼は、
服などをお父さんが全部このミシンで縫ってくれたそうです。
第二次世界大戦中に聖職者になろうと決意し、神学禁止の中学び続け、
優秀な彼は推薦でローマの神学学校へいき、
1964年44歳の時にクラクフ教区の大司教に任命されました。
この任命してくれたときのローマ法王が亡くなって、
コンクラーヴェ(法王選挙)にも参加し、ヨハネパウロ1世が誕生したのですが、
なんとこのヨハネパウロ1世(当時65歳で歴代としては十分若かったそうですが)
法王になってからわずか33日で亡くなってしまったのです。
(暗殺説があってwiki読んだら興味深かったです。)
そしてまたコンクラーヴェ。
生きている間にまたコンクラーヴェに参加できるなんて!
と思っていた彼ですが、なんとこの時に法王に選ばれます!
ポーランド人初で、かつ時代としてポーランドが常にいじめられているところに
彼が法王になった頃からポーランド市民は士気が上がってのちの民主化運動にも拍車がかかったとか。
ヨハネパウロ2世は日本でも有名ですよね。
彼はとにかく今までで一番世界中を旅して直接祈りをささげた法王だったそうです。
調べて知ったのですが、1981年にはキリスト教じゃない日本にも訪れたそうで、広島・長崎を訪れ、
そこで日本語で「戦争は人間のしわざです」「戦争は死です」と演説し、
核兵器の廃絶を訴えたそうです。
日本にも来てたのか~!!!
教会前のタイルもっとちゃんと見ておけばよかったー><
wiki読んでいて、「そうだそうだ!」と思う文がありました。
2003年にイラク戦争の最中ジョージ・W・ブッシュ大統領が度々
「神の加護を」「神の祝福あれ」としきりに「神」を引用して戦争を正当化していたのに対し
「神の名を用いて殺すな」と不快感を示し、
「イラクでのこの戦争に正義はなく、罪である」と批判していた。
いやほんとですよね。
殺し合いしておいて、何が神のご加護だ!「神の名を用いて殺すな」まさにそうですよね!
博物館で知ったのですが暗殺未遂事件もあったんです。
1981年、1982年と2回あったそうですが、
1回目は誰かに雇われたトルコ人によって至近距離で3発銃で撃たれたそうです。
奇跡的に臓器は避けており一命をとりとめたとか。
もちろんこの奇跡は、この日マリア出現の祝日だったのもあり、「マリアの力」と言われています。
(まさにクリスチャンですね。)
理由はちゃんとは分かっていませんが、どうやら影響力が強すぎて
社会主義圏における反体制運動を恐れた共産主義者の命令だと言われています。
2回目は、スペイン人神父に切られたそうです。同業者!!
これはたいしたことなかったそうですが、教皇が進める改革に反対しての行動だそうです。
このあたりまで読んでいると、私はキリスト教でもなく、イエスもどうでもいいですが、
このヨハネパウロ2世さんに感心してこの人を崇拝してもいいくらいに思えてきました。
法王だから、もろキリスト教だけども、
でもこの人の言うことはそんなに「神がー」「マリアがー」ってこと強調していないように聞こえて、
大本はそこの信仰心が必要なんだと思いますが、
宗教なんて人が何かを信じることで心が強くなれるみたいなもんだから
別に何だっていいわけです。(他人に迷惑かけなければ、ね。)
だからといって、「私はヨハネパウロ2世を崇拝します!」とは言いませんが、
「なんでそんなにこの人推しでいちいち騒ぐのか」が少し理解できました。
ほんとに人々を思う良い人だもの!!
自分を殺そうとした人までわざわざ会いに行って、二人だけで話して、
内容は二人だけの秘密にして許しちゃう聖人さ。
本当に実際聖人なんですけれどね。
仏かと!神違うけど仏でもいいわ!!
最期の言葉が「父なる神の家に行かせてほしい」というポーランド語だったとも報道された。教皇の死去を受けて、世界各地からローマを訪れた信者の数は約500万人に上り、うち約200万人は教皇の故郷であるポーランドからの訪問者であったという。
ヨハネ・パウロ2世の他宗教との対話推進という姿勢を評価して、キリスト教他派(英国聖公会、東方正教会など)やユダヤ教などの聖職者も多数参列した。
これには涙しました。
ポーランド人は本当に彼を慕っていたんですね。人口考えてもすごいですよ。
それに戦争まで起きる宗教の違いもそれを超えて参列者がいたというのも感心。
同じキリスト教でも違うらしいんですよね。
残念なのは、
一部の報道によればヨハネ・パウロ2世自身は生前に書いた遺書で、故郷での葬儀と埋葬を希望していたともいわれており、バチカンに埋葬した教皇庁の判断に異議を申し立てる声もあった。
本当かどうかわかりませんが、結局このヴァドヴィツェには帰ってこられなかったのが
もし本当に遺書に書いてあったのだとしたら残念ですよね。
日本だったら、魂はいつでも帰ってこれるとか、ここで生まれ変われるとか、
そんな考え方出来るので実際その骨がなくても感じることが出来るからいいってなるのですが、
キリスト教には輪廻転生という考え方も無ければ
魂がどうのこうのはないので残念。
幽霊というのも、ポルターガイストとかありますけど基本的には悪魔の仕業ってなりますからね。
そうじゃないのもありますけど日本のホラーと外国のホラーの違いは
この根本的なところだと思います。
こっちのホラーってびっくりするだけでゾクゾクはしないですもんね。
一方日本のホラーときたら・・・もう暗くて静かなところってだけで想像しちゃって怖いです。
(私はホラーは大の苦手です。)
ということで、読んでくださった方が少しでもカトリックに興味持っていただけていたら幸いです。
日本では世界と比べて一般的にキリスト教に馴染みが無さ過ぎて
知らなすぎることが多いと思うのでその一つとして
これが頭のどこかに残っていたらちょっと世界の見方も変わるかな~と。
ヴァドヴィツェの後、クラクフもちょっとだけ観光したのでまた書きまーす!
つづく。