ポーランド人にとってとても大事なお墓の場所、それがリチャキフ墓地。
彼がポーランド人なので、ここはどうしても行くということで行ってきました。
市街地からちょっと離れていて、私たちは歩くのが好きなので
歩いて向かったのはいいけれど結構遠いです。
Map http://lviv.travel/en/index/about_lviv/lvivmap
スタートは分かりやすいところだと外にイエスがいたベルナディン教会から。
近くにこういう看板があるので分かりやすいと思います。
ひたすらまっすぐです。
工事しまくりで砂がまた砂漠のような砂なので靴に入ってくる!!
サンダルの人はさらに要注意です。
ずっとまっすぐでした。
20分くらい、「え?まだ?」と言っていると、突き当たって見えてきます。
ウクライナ語でよくわかりませんが良く見ると英語(とポーランド語)もかいてあります。
料金は 大人一人15UAH(フリヴニャ)
早速中へ!
入ってすぐ右にはトイレがありました。
広い敷地なので行っておく事をおすすめします。
いくらかかかりましたが料金を忘れてしまいました。
墓地の地図がありますが英語表記がないので、
ウクライナ語またはポーランド語が分からない方には厳しいですね・・・
有名人のお墓の位置が示されていて、右奥に戦士のお墓があります。
様々な形の墓石があります。 |
ポーランドとはまた少し違うスタイルです。 |
|
|
墓地ですが全然怖くありません。それどころか、どれも美しくてワクワクしてしまいます。
相当古そうなものも沢山。それでもどれも綺麗です。
奥へ奥へと進むと塔が見えてきました。
目下に広がるお墓の数に圧倒されます。
そして反対側にあるポーランド兵のお墓に向かいます。
ほとんどが16-25歳という若さの兵士たち。
中にはきっと親族の方だと思うのですが、新しい花やろうそく(こちらのお線香代わりのもの)が置いてあり、
親族が来るほど最近のことだったんだなと思います。
現にここにあるほかのお墓も、ここに訪れるポーランド人は観光というよりも
おばあちゃんのお父さんお母さんまたはおじいちゃんおばあちゃんくらいの世代の人なのでそんなに遠くないんですよね。
自分から見たら、曾じいちゃんばあちゃん、もしくは曾曾じいちゃんばあちゃんあたりでしょうか。
リヴィウ自体にも、ポーランド語だとルブフといいますが、ルブフに親戚がいるのよっていう人も
ポーランド南に住んでいる人の中には多いみたいです。
国境といってもこうして領土の取り合いであって、見た目は陸続きの同じ土地ですもんね。
日本は島国で、かつ天皇制も唯一昔からずっと変わっていない、
世界から見たものすごく独特な国なので、こういうことが不思議に思いますが、これが世界的には普通なんですよね。
国境をバスで越えただけでわくわくしていた私には、とても想像の出来ない話です。
ここに埋められた人は、現在ワルシャワのサスキ公園にある、無名戦士の墓に眠っています。
書いてあるポーランド語を頑張って読んでいるときに、ちょうど観光にきていた別のグループの女性が親切にいろいろと教えてくれました。
「この場所はポーランド人にとってはとても大事な場所なのよ。この人は、今はポーランドの首都であるワルシャワに眠っているの。ルブフも昔は首都だったけれど、いろんな戦争があって、沢山の人が亡くなって、今の首都、ポーランドの首都に帰れたの」と。
まさか、ここがサスキ公園のあの無名戦士の墓と関係があるとは思ってもいなかったのでびっくりでした。
それと同時に、ここは今はウクライナだから、戦って亡くなってしまったけどみんなの代わりにポーランドに帰れて、一人で寂しいかもしれないけれど、でも栄誉あることだから嬉しいかな、と考えさせられました。
Grób Nieznanego Żołnierza w Warszawie
ここにも数名ずつ眠っているそうで、誰が・いつ・どこで亡くなったか・職業はなんだったかが
ポーランド語で書いてあります。お菓子職人さんもいました。
ポーランドのために戦ってくれたフランス人兵だそうです。
上から見下ろすとその数にさらに圧倒されます。
白くて綺麗ですが、年齢を見るたびに、心が痛くなりました。
この霊廟のステンドグラスは特別きれいでした。デザインも他とは違います。
これは埋めるタイプでなく、その上に建てるタイプ!?
ここ一帯はホーンテッドマンションみたい・・・顔がいっぱいです。
ポーランドの有名な小説家だそうです。
ここだけポーランドのお墓にかかせないろうそくの瓶が沢山ありました。
とてもきれいな墓地でした。
時期も良かったのか緑もとても気持ちよかったです。
ちょっと遠いですが、歴史が好きな方には感慨深いところだと思います。
是非足を運んでみてはいかがでしょうか^^